歴史用語を学んだりする中で、奈良時代から平安時代にかけて、またそれ以降でもしばしば登場する単語として「令外官(りょうげのかん)」というものがあります。
こちらでは、令外官というのは何なのか。というテーマでその仕組み・設定理由や対応する官職の名称・役割などを解説していきます。
令外官の立ち位置・存在理由
その名の通り「令」の外側にある官職
令外官というものがなんなのか。というと、それはそんなに難しい意味ではなく、文字通りの意味を持つものです。
すなわち、「令」の「外」の「官」。
奈良時代や平安時代(後半にかけては形骸化の傾向も)においては、国家の枠組みとして「律令」と呼ばれる法律に従って、国を動かすための統治機構・行政の仕組みもはっきりと定められ(律令国家)、「官制」という形で当時の役人(官人)の地位や身分、階級などが比較的細かく決定されていました。
役所はいわゆる「二官八省一台五衛府」、その中にそれぞれの職務内容に対応した様々な役職があり、基本的に「令=ルール」に従って行政の世界は動いていた訳です。
つまり、令外官というものは、その「令」の外側にある「官」ということですので、当時の律令制度・行政・官制のルールとは切り離された「地位・職種・機構」として新しく設定された、いわば「特別職」のようなものであったと考えて頂いてよいでしょう。
律令制と実際の行政の折り合い
なぜ、令外官というものが設定されるようになったのかと言えば、それはひとえに「現実」への対応という側面が大きくなっています。
律令というものは、何度か大幅に改正されたことはあるとは言え、そんなに頻繁にコロコロと仕組みを変えるものではなく、律令で定められたルールや行政の仕組みは、ある程度長い期間・幅を持って適用されるものです。
一方で、実際の朝廷の内部や行政の動きはもう少しスピーディな側面、もしくは状況に応じて様々な対応が求められる側面。というのは常にあったといえます(これは現代でも同じことであるかと思われます)。そして、様々な「権力関係」の都合上、実際の権力と形式的な権力を分けたり、名誉職な役割を設定したりするようなことも時代が進むにつれて増えていきました。
また、平安時代に入っていくと、律令制度自体が次第に緩んで機能しづらくなるという現実もあり、制度と現実の乖離が大きくなっていったという状況もありました。
そのような状況下で、その場で必要とされた官職、または律令の仕組みの中ではしっくりこない官職を設置するために、令外官というものが「活用」されることが増えていったという訳なのです。
主な「令外官」の一覧
一般に令外官とされるものには、以下のような多種多様な官職があります。歴史用語として極めて有名なものも含まれており、令外官は朝廷における政治的な動き(摂関政治)、また行政の仕組みそのものに実際は深く関わるものであったと言えます。
また、平安時代には桓武天皇の時代以降、半ば乱発されるように令外官が次々と設置され、時には律令で定められた組織や官職の果たす役割を置き換えていくことにもなり、律令制度の限界によって設置された令外官が、一層律令制度を有名無実なものにしていくという流れをつくりました。
摂政(せっしょう) | ・天皇の勅令により、天皇の代理として実際の政治を行う官職 ・歴史は奈良時代以前に遡る存在である一方、律令に記述されたことはなく、平安時代には令外官として一般化 |
関白(かんぱく) | ・摂政とは異なり、成人した天皇をあくまでも「補佐」する役割を果たす官職という建前 ・平安時代以降に成立した令外官であり、奈良時代には存在しない |
征夷大将軍(せいいたいしょうぐん、征夷将軍・征東将軍とも) | ・奈良時代には「征夷将軍・征東将軍」としてその名の通り蝦夷征伐へ向かう軍勢を率いるトップとして設定された官職 ・中世以降は「天下人」を表す、日本の政治権力の実権を握る人物へ与えられる称号へ変化 |
内大臣(ないだいじん) | ・官職の中では右大臣と左大臣に次ぐ地位を有する太政官の官職 ・奈良時代までは「内臣」とよばれる役職があったものの、内大臣と異なり位置づけはあいまい |
中納言(ちゅうなごん) | ・官職の中では長官(大臣)及び大納言に次ぐ地位を有する太政官の官職 ・奈良時代には3人程度であったものの、平安時代には昇進希望者の増加もあり定員が10人前後にまで増加 |
参議(さんぎ) | ・大臣や納言に次ぐ地位を有する太政官の官職 |
内覧(ないらん) | ・天皇陛下が取り扱われる書類について、まず最初にそれを確認、閲覧する権限を持つ令外官 ・摂政、関白の地位に付随する場合が多いものの、その地位に就いていない人物が内覧の権限を有することも |
蔵人(くろうど) | ・平安時代初頭に成立した天皇の身辺に関わる多種多様な職務を行う令外官 ・トップにあたる別当、頭を筆頭に五位蔵人、六位蔵人、非蔵人、雑色、出納、小舎人、所衆、滝口、鷹飼といった各種の職掌を持つ |
文章博士(もんじょうはかせ) | ・奈良時代前半に設置された漢文や歴史を教える専門の役職 ・当初はそれほど高い地位に位置づけられなかったものの、平安時代には教育機関である大学寮の中で最も重要な地位となる |
明法博士(みょうほうはかせ) | ・文章博士と同時期に設置された律令法に関する教育を行う専門の役職 |
造宮省(ぞうぐうしょう) | ・天皇がお住まいになる宮城の整備や修繕を行う専門の令外官 ・奈良時代に入る前に設置され、奈良時代の終わりまで存続 |
勅旨省(ちょくししょう) | ・762年、奈良時代の孝謙天皇と淳仁天皇、藤原仲麻呂の対立が先鋭化した時代に設置された令外官で20年ほど存続 ・その名の通り天皇の「勅旨」に関わる内容を取り扱っていたと考えられるが、詳細は不明 |
内豎所・内豎省(ないじゅしょう) | ・天皇がお住まいになる「内裏」の警護にあたる「内豎(ないじゅ)」らを統率する機関 ・奈良時代の一時期のみ「省」となる |
勘解由使(かげゆし) | ・平安時代初頭に桓武天皇により設置された「地方行政の監察」に特化した令外官 |
検非違使(けびいし) | ・平安時代初頭に設置された「京都の治安維持」を担当する機関 ・律令で定められた警察機関(弾正台)などの機能を置き換える形で強大な組織に発展し、最終的には律令に基づかない法規範も使用 |
紫微中台(しびちゅうだい)・坤宮官(こんぐうかん) | ・749年に設置された令外官で、建前としては光明皇太后の庶務に関する業務を行うとされる ・実質的には当時政治の中枢にいた藤原仲麻呂の権限を行使するための機関という側面も |
近衛府(このえふ)・中衛府(ちゅうえふ)・外衛府(がいえふ) | ・律令の下で定められた五衛府(ごえふ)とは別に、天皇周辺の身辺警護を行う組織として設置された令外官 ・外衛府は奈良時代の一時期のみ存在し、平安時代には近衛府が左近衛府、中衛府が右近衛府に改組されるなど時の権力関係などに応じて位置づけは異なる |
押領使(おうりょうし) | ・平安時代初頭に設置された令外官で、兵士の引率を行う部門から実際の戦闘を行う軍事組織、地方の治安機関へと変化 |
追捕使(ついぶし) | ・平安時代中期に設置された令外官で、海賊などの対策にあたる組織として軍事的な役割も有する |
按察使(あぜち) | ・地方行政の監察官として奈良時代の初期に設置された令外官 ・国守の一部を複数の国を統括する形で指名 |
鎮撫使(ちんぶし) | ・奈良時代初頭の一時期のみ設置された地方の治安維持などにあたる令外官 |
節度使(せつどし) | ・対外的な脅威などが強まった奈良時代の一時期において、既に設置されている軍団の軍事力の増強を図るために派遣された令外官 |
問民苦使(もみくし・もんみんくんし) | ・奈良時代の中期頃の一時期設置されたとされる、地方の状況(民衆の生活状況)を調査する監察官の一種 |
鋳銭司(じゅせんし) | ・奈良時代から平安時代にかけて「貨幣」を発行(鋳造)するために設置された令外官 |
検税使(けんぜいし) | ・正倉と呼ばれる蔵に貯蔵された穀物の状況(正税・しょうぜい)について検査を行う税務調査官のような位置づけの令外官 |
掃部寮(かもんりょう) | ・宮中のおもに「清掃業務」を担う令外官 |
授刀舎人寮(たちはきのとねりりょう) | ・奈良時代の初期に設置されていた令外官で、主に宮中の警備にあたっていたと推定 ・のちに中衛府に統合、その後復活し授刀衛と名を変え藤原仲麻呂の乱鎮圧に功を挙げる |
斎宮寮(さいぐうりょう) | ・伊勢神宮に派遣されていた未婚の斎宮(斎王)の身辺に関わる業務を司る令外官 |
施薬院(やくいん)・悲田院(ひでんいん) | ・奈良時代の光明皇后の時代以降に設置された令外官で、困窮者や病人・孤児などの救済にあたる「福祉施設」として機能 |
修理職(しゅりしき) | ・平安時代に設置された内裏の修繕を担う令外官 |
造寺司(ぞうじし) | ・その名の通り各寺院を建設するために奈良時代に設置された令外官 ・造東大寺司、造薬師寺司、造興福寺仏殿司、造法華寺司、造西大寺司などがあり |
造長岡宮使(ぞうながおかぐうし) | ・その名の通り長岡京遷都にあたってその建設事業を行うために設置された令外官 |