奈良時代を代表する書物としては一般に『古事記』・『日本書紀』・『万葉集』が頻繁に挙げられますが、もう一つ忘れてはいけないのは『風土記』。こちらの記事では、『風土記』という書物がどのようなものなのか。というテーマで、その内容などをなるべくわかりやすく解説していきます。
いつ書かれたものなの?
『風土記』と呼ばれる書物は、『続日本紀』によると、713年(和銅6年)5月に出された官命によって編纂が始まったとされています。『古事記』や『日本書紀』は飛鳥時代から奈良時代の初頭にかけての編纂ですが、『風土記』はもう少し後に編纂がはじまった。と解釈してもよいと考えられます。
但し、編纂が開始された時代と書物として完成した時代には地域により一定の差があり、例えば後ほど解説する各巻について見ると、『播磨国風土記』は数年以内に完成したと推定されているものの、『常陸国風土記』は721年(養老5年)、『出雲国風土記』は733年(天平5年)2月の完成などと、地域によって完成時期にはばらつきがありますので、刊行は各地域の調査状況などに応じたもので必ずしも統一的な・画一的な編纂の方法ではなかったと考えられます。
編纂の目的は?内容はどんなもの?
『風土記』という書物は、非常に大まかに言えば、奈良時代の「地誌・地理辞典・地域解説書」のようなものと言える存在です。
713年の編纂の官命にあたっては、下記のような内容を調べて記述することが求められています。
畿内七道諸國郡郷名著好字。
其郡内所生、
銀銅彩色草木禽獸魚䖝等物、
具録色目。
及土地沃塉、
山川原野名号所由、
又古老相傳舊聞異事、
載于史籍言上。
『続日本紀』
漢文では何を言っているのかよくわからないと思いますが、要するに編纂にあたって求められた内容は以下のようなものとなります。
この内容からも分かるように、その地域についての基本的な情報・データを集めることが『風土記』では求められたのです。なお、地名については「好字」を用いよ。として良い意味を持つ漢字(縁起のよいもの)を用いて記述することが求められています。
編纂の目的は様々な理由が考えられますが、当時の朝廷は「律令」と呼ばれる法(律令制度)に基づいて日本の国全体を統一的に・中央集権的に治めようとしていました(律令国家)ので、各国の事情を把握することや記録に残すことは地方支配の基盤を固めるためには不可欠なものであり、その流れで『風土記』の編纂が行われたと解釈するのが一般的な理解と言えるでしょう。
なお、記述については『出雲国風土記』では他の風土記では見られない「神社の一覧」が載っているなど、上記の5項目以外の内容も一部で見られます。また、地名の由来として「国引き神話」と呼ばれる『古事記』や『日本書紀』には存在しない神話も掲載されているほか、『風土記』にしか登場しない神様もおられるなど、より地域の独自性を反映した書物とも言える特徴も有しています。
構成は?現在残っているものは?
『風土記』は、編纂にあたっては各国ごとの風土記を編纂することが求められ、実際に編纂が行われたとも考えられますが、写本も含めて残される『古事記』や『日本書紀』・『万葉集』といった書物とは異なり、『風土記』はごく一部しか現存しておらず、存在を確かめることが出来ないものが目立ちます。
現在写本の形で現存するものとしては、以下の地域(国)のものがあります。
『出雲国風土記』(ほぼ完全な形)、『播磨国風土記』・『肥前国風土記』・『常陸国風土記』・『豊後国風土記』(いずれも一部は欠ける)
また、「逸文」として、他の歴史書などに一部の記述が引用されているものには、以下の地域(国)のものがあります。
『山城国風土記』・『摂津国風土記』・『伊勢国風土記』・『尾張国風土記』・『陸奥国風土記』・『越後国風土記』・『丹後国風土記』・『伯耆国風土記』・『備中国風土記』・『備後国風土記』・『阿波国風土記』・『伊予国風土記』・『筑前国風土記』・『筑後国風土記』・『豊前国風土記』・『肥後国風土記』・『日向国風土記』・『大隅国風土記』・『壱岐国風土記』
逸文についてはこの他にも真偽が定かではない(本当に『風土記』に由来するのか不明)ものも見つかっていますが、概ね上記のもの以外は疑わしく、全国のうち半数程度については、そもそも存在したのかを確かめることが出来ません。