奈良時代には、日本で初めての「流通貨幣」と呼ばれる「和同開珎」が発行、平城京などで使われるようになり、まだまだ限定的ながらも「お金」の概念がはっきりしはじめた時代です。
そのような中では、お金の利用を促進するためなどに制定されたとされる「蓄銭叙位令(ちくせんじょいれい)」というものもありました。こちらではその蓄銭叙位令の内容について、なるべくわかりやすく解説していきます。
蓄銭叙位令の内容
「蓄銭叙位令(ちくせんじょいれい)」とは、奈良時代の元明天皇の時代に公布された法令です。
その内容は、非常にシンプルなものです。
このような法令でした。
より細かく見て行くと、既に位階を持っている人の位に応じ、その叙位の内容が少し異なっていました。
現在の位階 | 叙位のルール |
正六位以上 | 蓄銭10貫以上で臨時に勅授 |
従六位以下~従八位下 | 蓄銭10貫以上で位1階叙位 蓄銭20貫以上で位2階叙位 |
大初位上 | 蓄銭10貫以上で位1階叙位 |
大初位下~少初位下 | 蓄銭5貫で位1階叙位 |
当初の対象は「既に位階を持っている人の『昇進』」のみでしたが、公布された年のうちに、位を持たない存在にも対象が拡大され、無位は7貫以上・白丁は10貫以上の蓄えを持つことで、位を持つ資格になる。という記述も追加されました。なお、銭1000文=1貫と換算しましたので、必要金額は万単位になることもある、それなりの額であったことがわかります。
なお、貯蓄したお金(銭)は、申込書・証明書のようなものとともに政府に提出(献納)することになっており、単に貯めただけで勝手に国が位階をくれる。という訳ではなかったようです。
合わせて禁止された事項
蓄銭叙位令の公布にあたっては、お金を貯める(利用を増やす)目的を達成するために、「ズル」をすることが一番懸念されることでしたので、同時にやってはいけない禁止事項についても定められました。
簡単に言うと、
・位階狙いで他人からお金(銭)を借りたり、その相手に貸したりすることを違法行為と定める。
・偽金である「私鋳銭(勝手に作ったお金)」製造の罪について、「斬」の最高刑を適用する。
こういった内容が定められました。要するに、お金を貯めるのは大いに勧めるけれど、ずるをしたら最高刑は死罪だからね。という訳なのです。
蓄銭叙位令の目的
貯蓄の奨励と、ズルをやらかした場合の厳しい処罰などについても示した「蓄銭叙位令」。
このような法令がなぜ定められたのかと言えば、最も一般的な理由としては以下のようなものが挙げられます。
・貯蓄を推奨することで、お金の利用や流通を図る(お金を使ったことがない人がお金に触れる機会となる)。
後述していくように、貯蓄を勧めていくとむしろ「使わないお金」が増えていく=流通が減ることは想像できるのですが、和同開珎が発行されて間もない当時は高位の人間も含め、まだお金になじみが少ない人も多かったと考えられますので、まずはとにかくお金になじむ。お金を当たり前のものとして扱う。という意味も含めて「貯蓄」のススメが「国家」によって示されたものと考えられます。
また、位階の授与にあたっては、証明書類と共に銭が朝廷に献納されますので、国が発行したお金を国の手元に還流(取り戻す)意味合いもあったと考えられます。
蓄銭叙位令の効果は?
国家による「貯蓄のススメ」であった蓄銭叙位令は、和同開珎が発行されてから3年目、奈良時代が始まった翌年にあたる711年(和銅4年)10月に公布されました。貨幣が出回り始めてから間もないタイミングであり、とにかくお金の利用を何らかの形で図るための意図があったと考えられます。
また、当然のことながら「貯蓄」に励めば「お金」は手元には残るけれども、広く市場で使われる存在ではなくなっていきます。お金を手に入れるために商品などを売りさばく。このタイミングでお金は使われますが、その後貯蓄すればそれ以上は出回らなくなってしまうので、お金が塩漬け(死蔵)されてしまってお金が出回ることで成り立つ「貨幣経済」にとっては一般論としては悪影響をもたらすことになります。
奈良時代などを通しての経過は不明点が多いですが、この時期にはある程度お金が流通するようになったのか、それとも弊害が目立つようになったのか、結果としては平安時代に入って間もない800年(延暦19年)には蓄銭叙位令が廃止となっています。