東大寺・転害門

【東大寺転害門】大変貴重な奈良時代の建築は「きたまち」のシンボル的存在

ごあんない

奈良時代に建立された門がほぼそのまま残る

転害門は、「奈良きたまち」の東端、正倉院の西に位置し、かつて東大寺境内の西側にあった3つの門のうちの現存する唯一の門です。762年に建立されたとされる、三間一戸八脚門という形式を持つ非常に堂々たる門で国宝に指定されており、かつては佐保路門とも呼ばれていました。

この門は、東大寺の建築物の多くに損害を生んだ平安末期、1180年の重衡の兵火、また戦国時代、1567年の三好・松永の戦いにおいても致命的なダメージを受けることがありませんでした。すなわち一部修理がなされたとはいえ、現在に至るまで基本的には「奈良時代の建築」を維持しており、東大寺境内では非常に貴重な存在となっています。

いろんな表記がある「てがいもん」

「転害門」は、その呼び名を「てがいもん」と読みますが、その表記は、「転害門」のみならず「手掻門」・「手貝門」・「碾磑門」と表記されたこともあります(転害門前のバス停の名前は「手貝町」)。縁起の良い場所にあるために「害を転ずる」という意味から「転害」と表記されるといういわれや、この門の場所で行基が大仏開眼に携わった菩提僧正を手招きしたことから、その手で物を掻くような様子を「手掻」と表記したといういわれ、また美しい石臼があったから中国の石臼を意味する「碾磑(てんがい)」という漢字があてられたといった由来など、呼び名をめぐる興味深い諸説に溢れています。また、悪七兵衛景清が、平家一門の恨みを晴らすため、源頼朝を暗殺しようとして隠れていたという言い伝えもあり、又の名を景清門とも言うとされています。

「転害会」ではお旅所になります

なお、毎年10月には、転害門を御旅所として、「転害会(てがいえ)」という祭事が行われます。これは、明治まで東大寺の鎮守社として機能した三月堂横にある「手向山八幡宮」の例祭であり、かつて聖武天皇の時代、宇佐八幡宮から東大寺へ祭神が勧請されたときに、八幡神が転害門を通った伝承にちなんだ祭礼となっています。

転害門は、大仏殿、春日大社をめぐる観光ルートから外れており、観光客で溢れかえることはありません。しかし奈良時代の面影を直に感じることの出来る貴重な空間であり、かつ街道沿いに連なる「きたまち」のまちなみとの調和も趣があり、奈良の歴史の分厚さを体感できるスポットとなっています。

転害門の風景

転害門を真下から見上げる

転害門はその内部に上がることは一切出来ませんが、門の真下までは近づいて眺めることが可能です。近づくと、思いのほか壮大な建築であることがよくわかるでしょう。

転害門のしめ縄

門の正面には重厚なしめ縄が常に掛けられています。

部材は補修も行われているとは言え、奈良時代からの歴史を刻んだものとなっており、一つ一つから圧倒的な存在感を感じられるものとなっています。

京街道沿いに建つ転害門

転害門は「きたまち」エリアの中心的スポットとも言えるもので、門は深い歴史を有する「京街道」沿いに位置しているため、般若寺方面へ行くバスの車内からも必ず転害門を見ることができます。

奈良八重桜と転害門

門の裏側、京街道の反対側には東大寺境内の静かな環境が広がっており、4月には色鮮やかな「八重桜」と「門」の共演も楽しんで頂けます。

アクセス

各駅からのアクセス

奈良交通バス

・JR、近鉄奈良駅から「青山住宅」・「州見台八丁目」行き乗車、「手貝町」バス停下車、南に徒歩1分

近鉄奈良駅から北東に徒歩20分

近隣スポット

奈良市きたまち転害門観光案内所からすぐ、八鐵神社(弁財天)から南に徒歩2分、正倉院・鏡池から西に徒歩5分、大仏殿・戒壇堂から北西に徒歩10分、聖武天皇陵から東へ徒歩10分

東大寺転害門周辺地図