元正天皇(げんしょうてんのう)はどんな人物?2代続けての女帝についてわかりやすく解説

基礎知識・お役立ち情報

奈良時代に入って2番目の天皇である「元正天皇」。女帝かつ独身であり、母である元明天皇に引き続いて即位した後、聖武天皇の後見人として長年重要な役割を果たした人物として知られます。こちらでは、元正天皇について、系譜や事績などの基本的な知識について、なるべく簡潔にわかりやすく解説していきます。

元正天皇の「系譜」

父親:草壁皇子(天武天皇と持統天皇の皇子・皇位に就くことなく若くして亡くなりました)
母親:元明天皇(阿閉皇女・天智天皇と蘇我倉山田石川麻呂の娘である姪娘の皇女)

夫・子女:生涯なし(独身で即位した天皇として知られています)

弟:文武天皇(元正天皇より早く14歳で即位し、707年に若くして崩御)
妹:吉備内親王

※元正天皇の諱(いみな)は氷高(ひだか)。当初は氷高皇子と呼ばれました。また、和風諡号は日本根子高瑞浄足姫天皇(やまとねこたかみずきよたらしひめのすめらみこと)です。

元正天皇の略歴

680年(天武天皇9年):草壁皇子(天武天皇の皇子)と阿閉皇女(のちの元明天皇・天智天皇と蘇我倉山田石川麻呂の娘である姪娘の皇女)の皇女として生まれました。

707年(慶運4年):文武天皇の崩御に伴い、母親である元明天皇が即位されました。

715年(和銅8年)1月10日:親王としての最高位の位階である「一品」に昇叙されました。

715年(霊亀元年)9月2日:後の聖武天皇(首皇子)がまだ若いこともあり、母親である元明天皇より譲位されて天皇に即位しました。母親からの譲位というのは、歴史上この元明天皇→元正天皇が唯一のものです。

724年(神亀元年)2月4日:皇太子である首皇子に譲位(聖武天皇の即位)し、自らは退位し、太上天皇となりました。

748年(天平20年)4月21日:69歳で崩御されました。葬儀は母親である元明天皇とは異なり、比較的規模が大きなものであったとされています。御陵は母親である元明天皇の御陵のすぐ西側に設けられました(奈保山西陵)。

母から娘への譲位という唯一の歴史

元正天皇は、奈良時代に入ってから2番目の天皇として、715年に即位されました。奈良時代に入った時点での天皇は母親である元明天皇であり、女帝である母親から、娘への譲位という形で皇位の継承が行われました。

天皇の歴史上、母親から娘への譲位が行われた事例・2代連続の女帝となった事例はこの元明天皇→元正天皇の場合のみであり、唯一の歴史となっています。

系譜として見た場合は、天智天皇の皇女である元明天皇である母親から、天武天皇の皇太子である草壁皇子を父親に持つ娘への皇位継承が行われた形式となりますので、いわゆる「男系」の皇位継承にあたりますので、女性天皇でありいわゆる女系天皇ではありません。

在位中には、大宝律令を修正していく形で『養老律令』の制定が開始されますが、元明天皇の在位中から権力を握ってきた藤原不比等が途中で亡くなり、朝廷の政治的構図もやや変化します。藤原氏は不比等の死で一時的に退潮し、妹である吉備内親王の夫である長屋王が権力を握る構図へと変化していきました。

なお、在位中にはこのほかに『日本書紀』が完成したほか、農地の限定的私有を認める三世一身法を制定しました。戦乱としては720年には九州で大規模な「隼人の反乱」が発生し、当初は大伴旅人を将軍として派遣し征伐にあたらせています。

聖武天皇の後見人として

元正天皇は、元明天皇から譲位された際には、後の聖武天皇(首皇子)がまだ若かったことから、中継ぎ的な意味で即位した側面が大きかったと考えられ、実際に10年以内に聖武天皇に譲位する形で退位しておられます。

退位後も20年以上存命した元正天皇は、橘諸兄・藤原仲麻呂らなどを重用しながら聖武天皇の後見人としての役割も果たしたと考えられ、聖武天皇が退位する1年前まで存命していたなど、晩年を聖武天皇の治世とともに過ごした存在です。

なお、744年には病気の天皇の代わりに難波京への遷都の詔勅を発しますが、この際には聖武天皇は紫香楽宮へと行幸しており、複数回の遷都が繰り返された時代の天皇と上皇の関係性にはやや謎めいた点もない訳ではありません。

元正天皇の「和歌」

元正天皇は、『万葉集』に収録されている和歌を複数残しています。

・幡(はた)すすき尾花逆葺き黒木もち造れる屋戸は万代までに(8巻1637番)
・玉敷かず君が悔いていふ堀江には玉敷き満てて継ぎてかよはむ(18巻4057番)
・橘のとをの橘やつ代にも我(あれ)は忘れじこの橘を(18巻4058番)
・あしひきの山行きしかば山人の我に得しめし山つとぞこれ(20巻4293番)
・霍公鳥(ほととぎす)なほも鳴かなむ本つ人かけつつもとな我(あ)を音(ね)し泣くも(20巻4437番)

御陵について

元正天皇の御陵は、奈良市北部の丘陵地(佐保山)に設けられています(奈保山西陵)。御陵は母親である元明天皇陵のすぐ西側に位置し、現在は県道を挟んで母娘の御陵が並ぶ形となっています。

一帯は奈良の主要観光スポットからはやや離れていますが、奈良阪~佐保・佐紀路方面などと合わせ歴史散策にも適した場所です。

まとめ

元正天皇(680年~748年)は、天武天皇の皇子である草壁皇子を父に、元明天皇(閉皇女)を母に持つ人物であり、奈良時代の715年~724年にかけて天皇として在位されました。在位中には『日本書紀』の完成や藤原不比等の死による権力関係の変化といった出来事がありました。

元明天皇から元正天皇への皇位継承は「母親から娘へ」・「女帝から女帝へ」の皇位継承であり、このようか構図は天皇家の歴史の中でこのケースに限られています(男系の皇位継承であり、女性天皇となっています)。また、元正天皇は生涯に渡り独身であったことでも知られています。

天皇退位後は元正上皇として20年以上に渡り、実質的な聖武天皇の後見人としての役割も果たしました。