奈良の歴史を見て行く中で、必ず行き当たる存在と言えば「記紀」や「万葉」というキーワード。
「記紀」と呼ばれるものには具体的には『古事記』と『日本書紀』がありますが、こちらではその『古事記』について、詳細な内容ではなく、最も基本的な知識と言える内容について、なるべくシンプルにご紹介していきます。
何について書いた書物なの?
『古事記』は、簡単に言えば現存する日本で最も古い「歴史書」です。
書物としての構成は、上つ巻(序・神話)・中つ巻(初代天皇~15代天皇まで)・下つ巻(16代~33代天皇まで)の3巻で構成されています。
日本という国の成り立ちについて、神話の時代から、存在がはっきりしている飛鳥時代の推古天皇の時代まで細やかに記述されています。
ざっくり言えば、世界の誕生である天地開闢(てんちかいびゃく)、伊邪那岐命(いざなきのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の存在、国生み、天照大神(あまてらすおおみかみ)と須佐之男命(すさのおのみこと)の存在、神武天皇の東征といった神話時代の話が盛りだくさんで、その後の各天皇の軌跡も記されています。
なお、神話時代や初期の天皇については、存在したかどうか明らかではなく、事実ではなく物語である。という解釈も一般的ですが、これらは記録としての歴史に残る以前の時代の話であることから、そもそも立証のしようがありません。
いつ書かれたの?なぜ書かれたの?
『古事記』は、奈良時代に入ってすぐの712年(和銅5年)に完成したものです。
古事記の編纂は、当時の元明天皇の命令で行われたとされており、元明天皇は707年からの在位ですので、ちょうど710年に平城京に遷都される時期周辺に編纂が行われていたことになります。
編纂された経緯としては、必ずしも目的や対象などが全て明らかになっているとまでは言えませんが、飛鳥時代に乙巳の変(大化の改新)で追い詰められた蘇我蝦夷が自邸に火を放った際に『天皇記』をはじめとする貴重な書物が失われ、その後の社会情勢などもあり正確な歴史書の編纂がままならず、伝わる歴史があやふやなものになりつつあったことが一つの要因と考えられます。
具体的な流れとしては、壬申の乱が終わった後、天武天皇が国史の編纂を計画し、後述する稗田阿礼と呼ばれる人物に『帝紀』・『旧辞』等の誦習(口述の形で記憶させる)を行い、その記憶を頼りに、元明天皇の時代になってから書物としての編纂が開始されたとされています。
誰が書いたの?
編纂したとされる人物は「太安万侶(おおのやすまろ」と呼ばれる人物です。
太安万侶は、飛鳥時代から奈良時代の初期にかけての貴族(官僚)で、民部卿と呼ばれる官職に就いていたなど、トップクラスではないとは言え、それなりの地位にある人物でした。
氏族としては「多氏(おおし)」と呼ばれる古代豪族の出身で、『古事記』には多氏は神武天皇の子孫にあたるという特徴的な記述も見られます。
墓所は奈良市の山間部、田原地区の茶畑に囲まれた場所にひっそりと残されています。
また、存在しないという説も一部で見られますが、稗田阿礼(ひえだのあれい)という人物も、編纂に関わっていたとされています。
阿礼はその存在の有無も含め、人物像の詳細は不明点が多いですが、一般に記憶力が凄まじいために天武天皇などに徴用され、『帝紀』・『旧辞』といったかつて存在していたとされる歴史書の内容を「暗記」した人物として知られ、その暗記内容などを自ら伝えて『古事記』の記述内容としたとされています。
特徴は?日本書紀との違いは?
書物としての『古事記』の特徴は、非常に大まかに言えば同じく歴史書の『日本書紀』と比較して「文学的・物語的」であり、「神話時代の記述が多め」という点が挙げられます。
特に出雲神話については、「大国主(おほくにぬし)の神話」が古事記にはしっかり記されている一方、日本書紀には存在しないなどかなりの差があり、『古事記』と『日本書紀』では「描きたい歴史・重要視する存在」が違う可能性が考えられます。
また、『古事記』はどちらかかと言えば私的な歴史記録として、国内の一部対象向けに編纂された書物であると捉えられやすく、逆に『日本書紀』は硬派で公式的・国家的な国際向け歴史記録である。という側面もあります。
読む人によって様々な考え方はありますが、古事記を元にした物語の方が感情移入や想像がしやすいということはあるかもしれません。
なお、様々な「歌謡」が収録されていることも特徴の一つです。有名な「倭は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる 倭し うるわし」も古事記に記された歌となっています。
古代の歴史書の編集方法としては「紀伝体」と「編年体」と呼ばれる方式が一般的に知られていますが、古事記は「紀伝体」であるという見解も多く、少なくとも典型的な編年体ではありませんが、厳密にどちらかという事は難しい書物です。
まとめ
『古事記』は、奈良時代の初期(712年)に成立した現存する日本最古の「歴史書」です。
編纂は太安万侶と呼ばれる貴族が行い、稗田阿礼と呼ばれる人物も関わっていたとされています。
内容は国土の誕生といった神話時代から、推古天皇の時代までの「歴史」を詳細に記しており、特徴としては同じく歴史書である『日本書紀』と比べて文学性・物語色が強く、神話時代の記述が豊富であるといった点が挙げられます。