【垂仁天皇陵・田道間守墓】美しい水辺の風景が広がる大規模古墳は唐招提寺・薬師寺にも近い

垂仁天皇陵を正面から望む 観光スポット・みどころ

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観光のご案内

日本有数の規模を持つ古墳の一つは西ノ京エリアにも

垂仁天皇陵(宝来山古墳・菅原伏見東陵)は唐招提寺、薬師寺などのある西ノ京エリアの北側すぐの位置にある大規模な古墳(前方後円墳)です。

古墳は、明治期に天皇陵として整備する際に拡張されたとされる巨大な周濠に囲まれ、その墳丘の全長は227メートルに及び、全国では20番目の規模を誇る古墳となっています。

築造時期は古墳時代の4世紀後半ごろと推定されており、実際に埋葬されている人物についてはヤマト王権の大王であるとも推定されていますが、現在管理する宮内庁によっては第11代「垂仁天皇」の御陵であると定められています。垂仁天皇は『古事記』等に登場する天皇であり、在位中には「野見宿禰」の進言により「人柱」の代わりに「埴輪」を埋葬するようになったというようなエピソードも残されています。

天皇のために不老不死の果物を探した「田道間守」の墓所も

また、天皇陵の周濠の東側には、小さな「島」のようなものがあり、この「島」は「田道間守(たじまもり)の墓」であると伝えられています。田道間守は、垂仁天皇の時代に天皇の勅命を受けて不老不死の果物である「非時香菓(ときじくのかくのみ)※タチバナの実」を探しにいきましたが、発見して持ち帰った時には既に垂仁天皇が崩御しており、悲しみの余り天皇陵で自らも亡くなったという伝説が残されています。なお、現在では田道間守は「お菓子」の神様としての信仰を集める存在になっています。

なお、垂仁天皇陵には周辺に多数の関連する「小さな古墳」であるとされる「陪塚」が指定されており、住宅街の一角に小さな墳丘が見られるような場合もありますが、垂仁天皇陵との関係性は定かではありません。天皇陵は西ノ京エリアからも、また多少距離を歩けば平城宮跡周辺からもアクセスしやすい位置にあり、年間を通して歴史散策を楽しむ観光客が常に見られます。周辺は田園風景も美しく、知名度は唐招提寺等と比較すると劣りはするものの、奈良に訪れた際には必ず訪問しておきたい場所の一つとなっています。

垂仁天皇陵・田道間守墓の風景

垂仁天皇陵入り口付近

西の京エリアから北に伸びる道沿いに天皇陵の入り口があり、そこから曲がりくねった長い参道を通っていくと天皇陵の正面に辿り付くことが出来ます。

垂仁天皇陵及び田道間守墓

前方後円墳としての形状が現在でもはっきりと見て取れる古墳は大変立派な姿をしており、湖のような巨大な周濠は一層壮大な雰囲気を感じさせてくれます。なお、写真中央左側にある小さな「島」のようなものが「田道間守の墓」であるとされているものです。

秋の垂仁天皇陵周辺

古墳周辺は美しい田園風景が広がっており、市内の古墳では珍しく「田んぼ」と「古墳」を同時に眺めることが可能です。

古墳を正面から見る限りは、市内のその他古墳との差異はそれほどありませんが、全体として見ると、この古墳は水辺の風景も含めどこか開放的な雰囲気が感じられる空間になっています。

垂仁天皇陵付近から生駒山方面を望む

周辺は生駒山を望む奈良市郊外の住宅地にも隣接しており、やや離れた佐紀古墳群等とは異なり地理的に「独立」した巨大古墳として異彩を放っています。

垂仁天皇陵の「飛地」

周辺には住宅街の中に小さな丘のような形をした多数の「陪塚(飛地)」があり、それぞれ小さな古墳である可能性が指摘されています。

次項では、交通アクセスについてご案内致します。

アクセス(電車・バス)

近鉄・JR線各駅からのアクセス

近鉄尼ヶ辻駅下車、南に徒歩5分

近鉄西ノ京駅下車、北に徒歩15分

奈良交通バス

・JR、近鉄奈良駅から「奈良県総合医療センター」行き乗車、「唐招提寺」下車、北西に徒歩8分

・JR、近鉄奈良駅から「学園前駅(南)※尼ヶ辻駅経由」行き乗車、「尼ヶ辻駅」下車、南に徒歩7分

周辺のみどころ・観光スポット

周辺は市内有数の美しい田園風景が広がっています。唐招提寺西方院(奥の院)から北に徒歩7分、唐招提寺(金堂周辺)から北西に徒歩8分、養天満神社から北に徒歩12分、薬師寺から北に徒歩13分

垂仁天皇陵周辺地図