【崇道天皇陵(八島陵)】山辺の道沿いにある奈良の「怨霊伝説」を象徴するスポット

山辺の道(北ルート)沿いにある崇道天皇陵(八島陵) 観光スポット・みどころ

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観光のご案内

祟りを恐れて「天皇」と呼ばれる悲劇の皇子の墓

崇道天皇陵(すどうてんのうりょう・八島陵)は、奈良市街地の南側、のどかな田園風景が広がる山辺の道「北ルート(奈良道)」周辺に位置する陵墓です。

崇道天皇は生前の名を「早良親王」と言い、光仁天皇の皇子として生まれましたが、最終的に藤原種継暗殺の謗りを受け、無罪を立証するために淡路の地へ配流の途中絶食し息絶えたとされる悲劇の皇子であり、その祟りを鎮めるために死後崇道天皇と追称され、大和(当地)に改葬されたことが崇道天皇陵の由来と言われています。すなわち、早良親王は歴代天皇には数えられていないにも関わらず祟りを恐れ「天皇」と呼ばれる特異な存在となっています。

奇妙な「八つ石」も

また、陵墓が位置する地域は「八島町」と呼ばれ、『奈良町風土記』によれば「八島」の名称は早良親王が薨去の後、その親王からの夢のお告げにより東方に「九つの石」を投じたところ、一つの石は大和国二見に、残りの八つの石は大和国古市(当地)に止まったことからこの地に御陵が設けられたことがその由来とされています。

その伝説を裏付けるかのように、現在も崇道天皇陵の正面には「八つ石」と呼ばれる大きな石が道路を塞ぐように存在しています。この八つの石は「八島」の由来にまつわる存在とされる一方で、地域の住民からは「触ると祟られる」として長く恐れられてきた存在であるともされています。しかし、この巨石群は実際には祟道天皇の時代よりも数百年さかのぼった古墳時代に築造された「八嶋陵前古墳」の石室の一部であり、直接崇道天皇と関わりのあるものではないようです。

なお、近くにある立派な本殿を持つ「嶋田神社」は、かつてこの御陵付近にあった「崇道天皇社」と呼ばれる神社と合祀された神社となっています。御陵にあった神社は失われてしまいましたが、奈良市街地の南側一帯にはこの陵墓に関わる形で多数の「崇道天皇社」が現在も点在しており、周辺の歴史を語る際には怨霊を鎮めるため、また地域を守る祭神として祀られる崇道天皇の存在は現在に至るまで非常に重要なものとなっています。

崇道天皇陵(八島陵)の風景

崇道天皇陵(八島陵)を望む

崇道天皇陵は、その他の御陵では通常見えるはずの「鳥居」が、白壁や門に塞がれてほとんど見えないようになっているなど、一般の陵墓とは少し違った雰囲気を見せています。通常の天皇陵よりも厳重に「何か」がガードされているような状態であるため、まさに「怨霊伝説」が伝わる天皇ゆかりの地らしい雰囲気を醸し出しています。

奇妙な巨石群「八つ石」(崇道天皇陵前)

こちらも奇妙な言い伝えが伝わる一方、古墳に関連するものとも言われる「八つ石」。思わせぶりな雰囲気を漂わせる天皇陵の正面に、奈良市内ではめったに見られないような巨石が転がっている訳ですから、仮にいわくつきがなくても、何らかの「伝説」が生み出されてしまってもおかしくはない、そんな風景となっています。

次項では、交通アクセスについてご案内致します。

アクセス(電車・バス)

近鉄・JR線各駅からのアクセス

奈良交通バス

・JR、近鉄奈良駅から「山村町」行き乗車、「八島町」下車、南東に徒歩3分

周辺のみどころ・観光スポット

周辺は山辺の道に沿った農村・田園風景が広がる(藤原町・八島町の田園風景)、嶋田神社から西に徒歩5分、白山比咩神社から南西に徒歩9分、円照寺(拝観不可)から北東に徒歩10分

崇道天皇八嶋陵周辺地図