奈良県内市町村の「人口推移」【国勢調査データ】

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大阪のベッドタウン・観光地としての2つの側面を持つ地域である奈良県。本ページでは、奈良県内の全ての自治体の「人口」について、1975年以降の各国勢調査のデータを基にその変化・現状を解説していきます。

なお、当記事では基本的に2015年までの状況を前提にしていますので、必ずしも最も最新の人口状況を解説している訳ではありません。その点はご留意下さい。

奈良県内の状況は、ごく一部を除き「人口減少」の傾向が顕著で、中にはわずか5年で2割程度人口が減っているような地域も見られます。

北和地域各自治体の人口推移

奈良市の人口推移

人口1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
増加率265040305614335468357178368039374944370102366591360310
15.3%9.8%6.5%3.0%1.9%-1.3%-0.9%-1.7%

奈良市の人口は、昭和の「ベッドタウン黄金時代」とも言える時期には、市内西部を中心にかなりの勢いで増加しましたが、平成の中頃をピークに近年は減少傾向にあります。

市内は全国屈指の少子化地域・若者の流出が止まらない地域であり状況は厳しいものがありますが、場所によっては開発が続いており(西大寺周辺など)、環境を好んで転入して来る方も多いため、全体としては「人口流出」はそれほど酷い状況ではなく、主に自然減による減少となっています。特に近年は急速な人口減少が予測されていましたが、予想と比べるとやや減少の速度がゆるやかに見える傾向もあります。

なお、2004年には旧都祁村と月ヶ瀬村を合併していますが、上記のデータは合併前も含め現在の奈良市エリアの人口を合計したものです。

生駒市の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口48848704618629399604106726112830113686118113118233
増加率44.2%22.5%15.4%7.2%5.7%0.8%3.9%0.1%

生駒市は、奈良市などと比べると開発の時期がやや遅く、昭和の終わりから平成の初期にかけて急速に人口が増え、小さな町から人口10万人都市へと変貌を遂げたベッドタウン地域です。

近年は人口増加は止まり、直近のデータでは予想より早く微減傾向に転じるなど、奈良県全体の少子高齢化・人口減少の傾向を後追いしつつあります。但し、他地域と比べると減少ペースなどはまだ緩く、10万人を切るような時期も相当後になることが推測されます。

大和郡山市の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口710018126689624929499516594188916728902387050
増加率14.5%10.3%3.7%2.4%-1.0%-2.7%-2.9%-2.2%

大和郡山市は、元より城下町として発展していた地域である一方、大阪のベッドタウンとして開発された時期も比較的早く、県内でも最も早く人口が減り始めた地域となっています。

減少率は近年2%台で推移しており、ピーク時と比べると既に1割以上の減少が見られます。

奈良市における西大寺・登美ヶ丘地域のような副都心の開発がなく、駅から離れた住宅団地も多い環境(矢田山・泉原方面など)・古い地域も多く残される環境ということで、今後も継続的な減少が続くことが推定されます。

天理市の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口629096489469129688157418872741711526917867398
増加率3.2%6.5%-0.5%7.8%-2.0%-2.2%-2.8%-2.6%

天理市は奈良市などから比較的近い一方、天理教の宗教都市であり、かつ大阪方面へ直通する鉄道路線を持たないことから、県内勤務者が多め=大阪への通勤者割合は周辺と比べると大幅に低い地域のため、昭和の終わりに人口の爆発的増加はありませんでした。

近年は人口は継続的に減少傾向にあり、最盛期と比べると1割程度減ってきており、減少傾向は今後も続くと考えられますが、天理高校や天理大学があるため10代後半から20歳前後の若者の比率が飛びぬけて高い都市にもなっており、高齢化率が高い訳ではありません。

安堵町の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口577464597003872889418539825779297443
増加率11.9%8.4%24.6%2.4%-4.5%-3.3%-4.0%-6.1%

大和郡山市の南側に位置する安堵町は、ベッドタウンとして「かしきの木台」の開発が進んだ昭和の終わりの時期は人口が一時急増しましたが、それ以降は横ばいの期間をほぼ経ずに減少傾向へと転じています。

山添村の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口588558225933577354204967459541073674
増加率-1.1%1.9%-2.7%-6.1%-8.4%-7.5%-10.6%-10.5%

北和地域の中でも三重県寄りの位置にあり、生活圏や通勤圏がその他の奈良県内とは少し異なる山辺郡山添村は、奈良県内の山間部としては急速な人口減少の開始が遅く、平成初期までは5000人以上の人口を維持していました。

しかしながら、平成中期以降は急速な人口減少局面に入っており、最盛期の半分近い人口に減りつつあります。

中和地域各自治体の人口推移

橿原市の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口95701107316112888115554121988125005124728125605124111
増加率12.1%5.2%2.4%5.6%2.5%-0.2%0.7%-1.2%

橿原市は、奈良県中和地域の拠点として発展してきた都市であり、奈良市に次ぐ県内2位・約12万人の人口を有しています。

市内は元から人口が多め・土地は平坦という条件があり、平成以降のマンション開発も多かったことから人口の動きはゆるやかで、近年は減少サイクルへと入りましたが、県内では人口減少のペースが遅い地域となっています。今後も減少は予測されますが、周辺自治体と比べるとそのペースはやや緩やかな傾向が続くことが推測されます。

大和高田市の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口586376171165223682377380673668708006845164817
増加率5.2%5.7%4.6%8.2%-0.2%-3.9%-3.3%-5.3%

大和高田市の人口は、繊維産業などが盛んで古い時代から発展していた都市のため、昭和期からの人口増加は比較的ゆるやかとなっており、平成にマンション開発などで人口が少し増えた後は、急速に減少傾向が広がってきています。

密度の高い古い市街地が多いこと、葛城市・香芝市という新しいベッドタウンに人口が流れやすいこともあり、直近のデータでは最盛期と比べ2割ほどの人口の落ち込みが見られ、大阪府寄りの近鉄大阪線沿線の中では最も人口減少が進む地域となっています。

香芝市の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口265833631443485528175673963487709987522777561
増加率36.6%19.7%21.5%7.4%11.9%11.8%6.0%3.1%

香芝市は、大阪府と隣接する場所にあり、平成以降も急速な人口増加が続き、近年も微増かほぼ横ばい程度が続く県内では非常に珍しい地域です。市内は近鉄大阪線を利用することで大阪への通勤もスムーズな立地ということもあり、のどかな農村であった地域が昭和の終わり以降、ベッドタウンとしての開発され、平成以降の新しい住宅地もあちこちに見られます。

市内は高齢化比率は県内では特に低い地域である一方、その逆に出生率は県内では最も高い「子供の多い地域」であるなど、他の地域とは雰囲気も少し異なっており、比較的活気のある地域と言えるでしょう。

桜井市の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口543145643958894602626322563248611306014657244
増加率3.9%4.3%2.3%4.9%0.0%-3.3%-1.6%-4.8%

桜井市の人口は、大和朝倉駅周辺を除き大きなベッドタウンの開発もなかったことから、昭和の中頃からの急激な増加もなく、平成の前半に駅周辺のマンション開発などで人口が増えた時期があったものの、2000年以降は少子高齢化とともに人口が減少に転じ現在に至るという典型的なパターンを示しています。

市内には古い市街地や空き家も多く、少子高齢化の傾向はかなり顕著なことから人口減少ペースは今後も拡大する可能性もあり、隣接する宇陀市とともに急速な人口減少が懸念される・または既に起きている地域と言えるでしょう。

葛城市の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口256892954632462339393443634950349853585936635
増加率15.0%9.9%4.5%1.5%1.5%0.1%2.5%2.2%

2004年に平成の大合併の一環で当時の新庄町と當麻町が合併してできた「葛城市」は、他地域とは異なり、小規模な宅地開発が継続的に行われ、ゆるやかな人口増加が長期間続いている珍しい地域です。直近の期間も人口減少傾向へは転じておらず、大阪府へのアクセス性も良いこともあり、ファミリー世帯も多い地域で、子供の割合も県内では高くなっています。

なお、上記のデータは合併前は旧町の数字を合算したものです。

御所市の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口375543738736693366443611934676322733028726868
増加率-0.4%-1.9%-0.1%-1.4%-4.0%-6.9%-6.2%-11.3%

御所市は、奈良県の中和地域の南側に位置する自治体で、昭和の中頃以降人口減少が進んでおり、近年はそのペースが加速しています。直近のデータでは(2020年)2万5千人を切っており、奈良県の「市」では最も人口が少ない市で、広陵町などの人口が多い郡部よりも人口が少なくなっています。

古い町並みなどが多く、大阪などのベッドタウン機能は北隣の葛城市の利便性に吸い取られており、御所市の人口減少は今後も急速に進むことが推定されます。

田原本町の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口255602817230036315333283732934330293212131691
増加率10.2%6.6%5.0%4.1%0.3%0.3%-2.7%-1.3%

磯城郡田原本町の人口は、平成の中頃にかけてゆるやかに増加し、近年は一定の減少が見られますが、奈良盆地内では県内事業所への就業者が多い地域(他地域ほどベッドタウンへの偏りがない)であり、出生率も県内では高めの地域であることなどから人口の動きは穏やかで、現在の所急速な減少へは転じていません。

広陵町の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口179921842720345246052945731444328103307033487
増加率2.4%10.4%20.9%19.7%6.7%4.3%0.8%1.3%

北葛城郡広陵町の人口は、大規模な「真美ヶ丘ニュータウン」の開発もあったことで平成の初期には急速に増加し、近年も町内で小規模な住宅開発が続くことなどから、まだ減少傾向へは転じていません。

県外就業者が多くベッドタウン的な側面が強い地域ではありますが、開発の状況や県内では香芝市などに並んで高齢化率が低い・子供が比較的多い地域であることを鑑みると、今後もしばらくは急速な人口減少に転じることはないと推定されます。

川西町の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口749294469670965098479422917486538485
増加率26.1%2.4%-0.2%2.0%-4.3%-2.6%-5.7%-1.9%

磯城郡川西町は、近鉄橿原線の沿線に位置し、大阪への直通電車がない・工業立地が多いということもあり、奈良盆地一帯では県外就業率がやや低い地域となっています。

人口は昭和の終わりにかけては結崎駅周辺に開発された住宅地による増加が見られましたが、平成の中頃以降はっきりとした減少傾向が見られます。但し、ベッドタウンとしての機能だけではないため、近年にかけても減少幅は急拡大を見せていません。

三宅町の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口785385608536862085848042776474406836
増加率9.0%-0.3%1.0%-0.4%-6.3%-3.5%-4.2%-8.1%

磯城郡三宅町は近鉄田原本線沿いに広がる町であり、昭和期には住宅開発で人口は一定程度増えたものの、元より大規模なベッドタウンは存在せず農村の歴史を継承する地域も多いため、人口は平成の中頃以降比較的急なペースで減少が続いています。

明日香村の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口665069877109736371266846634358565523
増加率5.1%1.7%3.6%-3.2%-3.9%-7.3%-7.7%-5.7%

明日香村は、歴史遺産の多い環境ということで開発が制限されてきたことから、ベッドタウンとしての側面はそれほど大きくありません。一定の住宅開発で昭和の終わりにかけて人口はやや増えましたが、近年は減少傾向が進んでいます。

高取町の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口919189099042883183888153791476577195
増加率-3.1%1.5%-2.3%-5.0%-2.8%-2.9%-3.2%-6.0%

高取町は、古い町並みなどが残される歴史ある地域で、一部地域では住宅開発も行われてきましたが、昭和以降ほぼ増加することなく一定の減少ペースが続いています。減少比率は都市部以外の地域としては抑えられている地域ですが、近年は減少率の拡大傾向が見えて来ています。

西和地域各自治体の人口推移

王寺町の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口163311721320265236252457423782227512218223025
増加率5.4%17.7%16.6%4.0%-3.2%-4.3%-2.5%3.8%

JR王寺駅のある北葛城郡王寺町は、西和地域の拠点として早い時期から発展した地域で、昭和の終わりにかけて人口が増加し、その後は少子高齢化で減少に転じたものの、平成の終わりには「王寺スカイヒルズ」などの住宅開発が行われ、人口は近年になって再度増加に転じています。

上牧町の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口114991645218826213362381124005249532372822054
増加率43.1%14.4%13.3%11.6%0.8%3.9%-4.9%-7.1%

北葛城郡上牧町は、主に王寺駅へバスでアクセス可能なベッドタウンとして1960年代から西大和ニュータウンが開発され、町内の南側なども昭和の後半に一気に開発が進み、平成の初頭にかけて急速な人口増加が続いてきましたが、ベッドタウンの少子高齢化が顕著に進み、近年は一転して急速な減少局面へと入って来ています。

河合町の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口120801579318105194081990320126194461853117941
増加率30.7%14.6%7.2%2.6%1.1%-3.4%-4.7%-3.2%

北葛城郡河合町は、戦前は人口5000人程の農村であったものが、昭和の終わりにかけて主に王寺駅を利用するベッドタウン(西大和ニュータウン)として急速に発展し、一時期人口2万人を超える規模にまで発展しました。

近年は少子高齢化・オールドニュータウン化が進み人口は減少しており、今後も比較的急速なペースで減少が続くものと推定されます。

三郷町の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口137711794921606231232416123977230622344023571
増加率30.3%20.4%7.0%4.5%-0.8%-3.8%1.6%0.6%

生駒郡三郷町は、王寺駅にも近いなど大阪への通勤に便利な地域ということで、昭和から平成の初期にかけてベッドタウンとしての開発が進められ、県外就業率が県内トップクラスの地域として大きく人口が増加しました。

その後、平成の中頃には一時減少傾向が顕著になったものの、近年にかけても「イーストヒルズ勢野」など比較的大規模な住宅開発が行われたことで、直近では微減の傾向が見られますが、概ね人口は横ばいで維持されています。

斑鳩町の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口207432575427042275952837128566278162773427303
増加率24.2%5.0%2.0%2.8%0.7%-2.6%-0.3%-1.6%

生駒郡斑鳩町は、世界遺産「法隆寺」を有する観光地である一方、県外就業率がかなり高いJR沿線のベッドタウンとしても発展してきた地域です。

人口を見ると、昭和の終わりから現在に至るまで大きな変化が見られないという特徴を持っており、近年はやや減少傾向にはありますが、小規模な住宅開発が継続的に見られることもあり、それほど大きな人口減少は見られません。

平群町の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口117051685418783200962038520497202861972718883
増加率44.0%11.4%7.0%1.4%0.5%-1.0%-2.8%-4.3%

生駒山地と矢田丘陵に挟まれた地域に位置する平群町は、王寺駅・生駒駅を経由することで大阪への通勤がしやすいことから、昭和の終わりにかけてベッドタウンとして一気に開発が進められた地域です。

人口は開発が進んだ時代には一時5年で1.5倍近い増加率を見せましたが、平成中頃以降は少子高齢化が進み、近年は減少ペースが加速しています。

宇陀地域各自治体の人口推移

宇陀市の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口372694110141874417364203539762371833422731105
増加率10.3%1.9%-0.3%0.7%-5.4%-6.5%-7.9%-9.1%

2005年に旧榛原町・大宇陀町・菟田野町・室生村が合併して成立した宇陀市は、戦後急速に人口が減った後、榛原地域のベッドタウン開発などで昭和の終わりから平成初頭にかけて再び人口が増加、その後は少子高齢化で急速に人口減少が進む地域であり、山間部でありながら「ベッドタウン」としての人口の動きが大きな地域となっています。

市内は通勤距離も長いエリアで、奈良盆地一帯ともやや離れていることから産業立地もやや少な目で、今後も一層の人口減少が続くことが推定されます。なお、上記の数字は合併前は旧町の人口を合算したものです。

曽爾村の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口314430832975274326452472219318951549
増加率-1.9%-3.5%-7.8%-3.6%-6.5%-11.3%-13.6%-18.3%

曽爾村は昭和期から人口減少が急速に進み、現在は4000人を越えていた昭和の高度成長時代前の半分を下回る水準となっています。

御杖村の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口359334303287303528402623236621021759
増加率-4.5%-4.2%-7.7%-6.4%-7.6%-9.8%-11.2%-16.3%

御杖村は、戦後しばらくの時期までは5000人を越える人口が居住していましたが、昭和の高度成長期以降急速な減少が続き、最盛期の3割程度まで減少してきています。

南和地域各自治体の人口推移

五條市の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口408924008939600398694087139928373753446030997
増加率-2.0%-1.2%0.7%2.5%-2.3%-6.4%-7.8%-10.0%

五條市は、奈良県の南和地域では最も大きな都市であり、人口は平成の初頭までは「南大和ネオポリス」の開発などで横ばいから微増を維持しましたが、近年は少子高齢化が極端に進行しており、隣接する御所市と同等の急速な減少傾向を見せています。

なお、2005年には旧西吉野村・大塔村地域を合併して広い市域を持つようになっていますが、合併地域は山間部であり、一層人口減少の傾向が強い地域でもあります。

大淀町の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口160631651017453186332001520376200701917618069
増加率2.8%5.7%6.8%7.4%1.8%-1.5%-4.5%-5.8%

吉野郡大淀町は、近鉄吉野線沿線にあたる南和エリアの玄関口とも言える地域で、大阪の通勤圏に入るため「南大和ニュータウン」や「北野台団地」などの大規模なベッドタウン開発が行われ、人口は平成の前半までは堅調に推移しました。現在は急速な少子高齢化により人口減少が進み、今後は相当な勢いでの減少も見込まれますが、現時点では南和エリアでは人口が最も多く、減少の遅い地域となっています。

下市町の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口120791146010801995095328670773770205664
増加率-5.1%-5.8%-7.9%-4.2%-9.0%-10.8%-9.3%-19.3%

吉野郡下市町は、かつては南和地域の拠点とも言える商業地として栄え、戦後すぐには1万5千人規模の人口を有しましたが、早い時期から人口減少が続き、拠点機能も大淀町に比重が移ったため昭和の終わりにかけても増加することはありませんでした。近年は極端な少子高齢化が進みつつあるため、人口減少ペースは大幅に拡大しています。

吉野町の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口158411518214541134211242711318998486427399
増加率-4.2%-4.2%-7.7%-7.4%-8.9%-11.8%-13.4%-14.4%

吉野山といった一大観光名所を有する吉野町は、かつては吉野林業の拠点として製材所などが多く大いに栄え、戦後すぐには2万人規模の人口を有しました。しかし、その後は長年減少が続き、特に近年は極端な少子高齢化が進んでいるため、人口減少ペースが加速しています。

十津川村の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口808666276001551652024854439041073508
増加率-18.0%-9.4%-8.1%-5.7%-6.7%-9.6%-6.4%-14.6%

現在北方領土を除く日本国内で最も面積の大きな村である吉野郡十津川村は、最も人口が多い1960年頃には1万5千人を越える規模でしたが、以降は急速な減少が継続的し、直近の人口は3000人程度まで下がっています。

なお、現在でも南和地域では人口が相対的には多い村になりますが、あくまでも面積が大きい自治体のため、他の村と比べて特別に村落の規模が大きいといったことはありません。

東吉野村の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口625149164187372333362909260821431745
増加率-21.4%-14.8%-11.1%-10.4%-12.8%-10.3%-17.8%-18.6%

吉野郡東吉野村は、1960年頃の最盛期には9000人の人口規模を有していましたが、その後早い時期から人口減少ペースが加速し、現在では最盛期の2割以下の人口へ減少し、高齢化率も県内トップレベルとなっています。

川上村の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口517341513481309328212558204516431313
増加率-19.8%-16.1%-11.1%-8.8%-9.3%-20.1%-19.7%-20.1%

吉野郡川上村は、最盛期8000人ほどいた人口が昭和の中頃から急速に減少し、現在は1000人程度まで下がっています。高齢化率・人口減少ペースともに県内最高水準となっています(もっとも、様々な地域づくり活動などが実施されており、新しい動きも見られます)。

天川村の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口365432072731251923102104180015721354
増加率-12.2%-14.8%-7.8%-8.3%-8.9%-14.4%-12.7%-13.9%

洞川温泉など観光地としても有名な吉野郡天川村は、戦前の最盛期には6000人を超える人口規模を有する地域でしたが、早い時期から人口の急減が続き、直近では1000人近くまで減少が進んで来ています。

野迫川村の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口128511211213926875783743524449
増加率-12.8%8.2%-23.7%-5.5%-10.5%-5.1%-29.5%-14.3%

吉野郡野迫川村は、戦後しばらくの時期までは3000人前後の人口を維持していましたが、高度経済成長期以降は昭和後期の一部を除き急減が続いています。特に平成の中頃以降は減少率が大幅に拡大し、一時全国最大の人口減少率となりました。人口は早い時期から1000人を割り込み、近年は500人以下まで減少しているため、2021年現在全国で11番目に人口が少ない自治体となっています。

上北山村の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口14631155112310461023915802683512
増加率-21.1%-2.8%-6.9%-2.2%-10.6%-12.3%-14.8%-25.0%

吉野郡上北山村は、戦前には4000人を越える人口規模を有していましたが、終戦前から既に減少傾向へ転じ、戦後一旦増加した時期もありましたが、その後は長年減少傾向が続いているため、2021年現在では全国で13番目に人口の少ない村になっています。

下北山村の人口推移

1975年1980年1985年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
人口20511800158915141370129212121039895
増加率-12.2%-11.7%-4.7%-9.5%-5.7%-6.2%-14.3%-13.9%

吉野郡下北山村は、戦前期から1960年代までは3000~4000人程度の人口を有していましたが、昭和の中頃以降は継続的に減少し、現在は1000人を大きく割り込む水準まで減少しています。