かつて存在した「奈良ドリームランド」とは(ディズニー?跡地利用は?)

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歴史ある観光都市として名高い奈良市ですが、奈良市街地の北側には、かつて「古都」らしからぬ独特の雰囲気を持つ遊園地「奈良ドリームランド」が存在しました。

奈良ドリームランドは2006年に閉園し、現在はその痕跡は少なくなりつつありますが、こちらのページでは、その「ドリームランド」という存在について、基本的な歴史等を辿っていきたいと思います。

奈良ドリームランドの前史

奈良ドリームランドのある場所は、明治・大正・昭和初期にかけては基本的に山林が大半であり、周辺の一部には農地があるといったごく普通の里山の景観が広がる場所でした(現在もドリームランド跡地を除き、それほど大きな変化はありません)。

終戦後になると、後にドリームランドが建設される敷地の一部にアメリカ軍が進駐しました。

アメリカ軍は1945年(昭和20年)9月24日以降奈良市内に進駐し、現在の航空自衛隊奈良基地・現在の奈良教育大学一帯(かつての陸軍38連隊の駐屯地跡)、後にドリームランドの出来る黒髪山・佐保山周辺に駐屯し、ドリームランドが出来る場所にはアメリカ軍の将校向け住宅が一時期整備されていたようです。

奈良ドリームランド開業への経緯

奈良におけるアメリカ軍の駐屯については、1956年(昭和31年)頃までに撤退し、その跡地は航空自衛隊奈良基地や奈良教育大学に置き換わっていく事になりますが、黒髪山の地に関しては公共施設ではなく、奈良ドリームランドという遊園地が開発される事になります。

ドリームランドを巡る様々な歴史上の経緯については、「ディズニー」との関係性を巡り、様々な関係する人物の著作も含め、様々な解釈・批判軸のようなものがあふれており、ややセンセーショナルな印象をお持ちの方も多いと思われます。

これらの経緯については、本サイトとしては特定の見解は持ち合わせておらず、基本的な状況を確認するのみとさせて頂きますが、基本的に以下のような流れであったことは概ね共通の理解となっているようです。

・奈良ドリームランドの開発にあたって、関係者が米ウォルト・ディズニー社との接触を何らかの形で試みたであろうという歴史

・開発にあたっては少なくとも「ディズニー」が全面的な協力をした訳ではない(東京ディズニーランドのように、コンセプトや設計を専門の企業「ウォルト・ディズニー・イマジニアリング」が担った訳ではない)にも関わらず、開園時には「ディズニーランドの日本版」という表現を用いた事があるという事実

・結果として完成した「ドリームランド」は、ディズニーランドの園内構成を彷彿とさせる一方、ディズニーランドそのものとはかけ離れた世界観を持つ遊園地であった現実

・一方でかなり思い切った、画期的なアトラクションや乗り物を多数備えた「当時の日本」においては人々を満足させる設備を持つ遊園地であったという事実

奈良ドリームランドを巡る歴史については、「ディズニーと云々」という側面から語られる事が多く、それは確かに間違いのない事ではあるのですが、開園当初からしばらくの間は日本でも有数の規模を持つ遊園地として、当時の急速な高度経済成長を迎え中間層が一気に増えていった日本社会において、人々の興味・関心を惹きつける空間であった事も間違いありません。

ドリームランド閉園まで

結果としては、日本ドリーム観光の手により1961年(昭和36年)に開業したドリームランドは、1970年代等には年間150万人以上の来訪者を集める当時としては相応の遊園地として、関西各地等で広い知名度を有することになりました。

そもそも、昭和から平成初頭位にかけては「USJ」等のテーマパーク文化が大きく進展することはなかったため、奈良ドリームランドは比較的長期間一定の存在感を持つ事が出来ました。

遊園地ビジネスの最盛期には、現在唯一残る「生駒山上遊園地」の他、奈良ドリームランド、近鉄が運営する「あやめ池遊園地」や「伏見桃山キャッスルランド」等、奈良周辺に複数の遊園地が存在し、奈良ドリームランドはそれらの中でも規模が最も大きな遊園地と言えるものでした。

一方、バブル崩壊後には経済規模の縮小・消費形態の多様化により状況は変化し、来訪者の数も減少傾向が顕著になります。経営権についても、1993年(平成5年)には日本ドリーム観光をダイエーが買収、以降はダイエー傘下の遊園地となりますが、平成不況によりダイエー本体の経営が危機的な状況に陥る中で先行きが暗くなっていきます。

奈良ドリームランドとしては、てこ入れを図ろうと1998年(平成10年)には関西初となる木造ジェットコースター「ASKA」が新設する等、最後の踏ん張りを見せようとしましたが、2001年(平成13年)のUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)開業等が最終的な追い打ちをかけ、2002年(平成14年)途中からは土日祝日・学休期間のみの営業になり、次第に園内の施設や売店の規模縮小が目立つようになりました。

そして、2005年にはダイエーから不動産会社に奈良ドリームランドが売却され、翌2006年(平成18年)8月31日をもって、奈良ドリームランドは閉園されることになりました。

もっとも、地元の目線としては、経営的には厳しい状況とは言え、再末期であっても夏休み・春休み等(とりわけプールの営業期間)にはそれなりのお客さんがいる状況が見られましたので、営業日でもいつもガラガラ。という訳ではありませんでした。

いずれにせよ、奈良ドリームランドの廃業により奈良一帯に残された遊園地は「生駒山上遊園地」のみとなり、かつてのように奈良一帯に遊園地が複数あるような時代は終焉を告げることになったのです。

どのような遊具・アトラクションがあったのか?

奈良ドリームランドにあった各種遊具・アトラクション・施設については、一例(閉園直前のもの)としては以下のようなものがありました。当初は大規模な遊園地であったこともあり、園内を走る外周列車やモノレール等、軌道系ののりものが充実していました。

なお、開園当初と閉園までには40年を越える歴史がありますので、途中で施設の廃止や入れ替わりもありました。

・木製コースターASKA(1998年から~)
・外周列車(機関車を模したディーゼル機関車による牽引・客車は北海道開拓使号のレプリカ)
・スペースライナー(園内を走る本格的な「モノレール」)
・お城(ディズニーランドを少しだけ彷彿とさせるデザイン)
・ジャングル巡航船
・魔の洞窟(お化け屋敷のようなもの)
・メリーゴーランド
・スクリューコースター
・ファンタジーコースター
・キッズコースター
・ゴーカート
・ボブスレー
・バンパーボート
・ロックンロール
・アンティークカー
・スワンサイクル
・ティーカップ
・メジャーオービット
など

なお、奈良ドリームランドについては アーカイブサイト が残されていますので、そちらから遊園地の閉園直前の概要を把握する事も出来ます。

「公道上」から見た解体前の外観・風景

本サイト運営者が、解体前・解体直前に「公道上(適法)」から撮影した奈良ドリームランドの風景の一部は以下の通りです。

公道上から見たドリームランド園内の「駅」

外周を巡る鉄道の「駅」であった施設を隣接する公道上から見たものです。意匠としてはディズニーランドを模倣している印象は感じられます。

公道上から見た「ASKA」の風景(1)

公道上から見たドリームランド最終期の目玉アトラクションである木製コースター「ASKA」です。

公道上から見た「ASKA」の風景(2)

木で組み上げられたジェットコースターの枠組みは、構造物として見ても迫力のある存在でした。

公道上から見たメインゲート一帯
公道上から見たドリームランド立体駐車場

ドリームランドの東側には、巨大な立体駐車場の他メインゲート等がありました。

公道上から見た奈良ドリームランドの西駐車場側の看板
公道上から見た駐車場入口
公道上から見た西側ゲート
公道上から見たゲートに類する構造物

上記は、公道上から見たドリームランド西側エリア周辺の風景です。車によるアクセスの場合、東西に大規模な駐車場があり、正面玄関である東側の入口の他、西側にもゲートがありました。

閉園後の経過・跡地利用について

2006年(平成18年)8月31日に閉園した奈良ドリームランドは、その後はかなり長期間に渡り実質的には施設が「放置」されました。

もちろん、立ち入りを禁ずる警告や監視カメラ等は土地の管理者により設置されていたようですが、現実的には廃墟の写真を撮影しようとする人々や、一部の不良集団とも言える人々により不法に侵入するという脱法行為が繰り返された事も否定できません。

その後、様々な紆余曲折の上、2014年には奈良市により跡地が競売にかけられる形となりました。

競売については、跡地が市街化調整区域に該当し開発に支障がある・施設(遊具)の撤去費用が莫大な金額になりうるといった各種事情から、しばらく応札がない状況が続きましたが、2015年(平成27年)11月に大阪の不動産会社が応札し、7億5千万円という土地面積からすると極めて安価とも言える価格で競売が成立しました。

その後1年ほどは従前と同様遊具等が残された状況が続きましたが、2016年の秋から解体工事が進められ、園内の池や一部の舗装等を除き、完全に更地化され、遊園地としての面影はほぼ完全に消滅しました。

2020年現在、確認できている限りにおいては、跡地利用に関する具体的な構想・計画・工事等が行われている状況は一切確認できていません。

今後については所有者の動向次第であるため推定する事は出来ませんが、一般論としては、奈良市が規制緩和等を行わない限り、一般的な住宅・商業地としての開発は困難と言えますし、人口減少・少子高齢化・新型コロナウイルスの影響に伴い大規模開発への機運は全国的に縮小傾向にもありますので、奈良ドリームランド跡地が住宅団地やショッピングモールといった定番の開発目的に利用される事は想定しにくいと考えるのが無難でしょう。

なお、本格的な活用ではありませんが、2022年には幹線道路に近い一部のスペースが臨時駐車場として利用されたケースはあります。

まとめ

奈良ドリームランドは、かつて奈良市街地の北側(黒髪山・佐保山エリア)にあった遊園地です。遊園地は1961年(昭和36年)に開園し、2006年(平成18年)に閉園となり、40年以上に渡り奈良最大級のレジャー空間として機能し続けました。

奈良ドリームランドの開発にあたっては、一般的に「ディズニー」との関連から語られる事が多く、実際にディズニー関係者とのコンタクトを取った歴史等もあるようですが、必ずしもディズニー社が主体的に奈良ドリームランドの開発に参画していた訳ではありません。但し、開園時には「ディズニーランドの日本版」を奈良ドリームランド側が名乗っていたという歴史もあります。

ディズニー関係の問題で様々な批評を受ける奈良ドリームランドですが、遊園地として見れば高度経済成長期における日本において、画期的な遊具・のりものを備えた遊園地として一時期は多くの人々を魅了した事は否定できません。

閉園後については、長年実質的に放置された後競売にかけられ、現在は大阪の不動産会社の所有となっています。2016年以降は遊具などの解体が進められ、現在は実質的にはほぼ更地の状態です。なお、2020年現在跡地利用の具体的な構想等は特に明らかになっていません。