平城天皇陵(市庭古墳・楊梅陵)

【平城天皇陵(市庭古墳)】平城宮跡最寄りの古墳は「謀反」を起こした上皇の御陵

ごあんない

最後まで「平城京」に留まった「上皇」の陵墓

平城天皇陵(へいぜいてんのうりょう・市庭古墳・楊梅陵)は、奈良の古墳が密集する「佐紀」エリアの中央部、集落の家並みが広がる一角に位置し、現存している古墳としては平城宮跡エリアに最も近い位置にある古墳です。

平城天皇は「天皇」としては平安京に遷都して間もない時代の天皇として806年から809年まで、わずか3年余りに過ぎないその短い治世を過ごした存在とされています。また病気による退位後は「上皇」となり、その後の平安京を治めることになった「嵯峨天皇」と対立を深めることになり、平城京・奈良への再遷都を画策し挙兵を行う「薬子の変」の当事者となり、敗北し出家したという経歴を持つ天皇であり、平安京遷都後にも関わらず奈良の都である平城京とのつながりが強かったことで知られています。なお、武力により天皇家同士で争う当事者となったものの、敗北を悟ると即時に剃髪し仏門に入ったことが幸いしたのか、「薬子の変」で敗北した後も「平城京」の地で「上皇」としての身分を相変わらず保証され続け、必ずしも大規模な「制裁」を加えられ迫害されるようなことはありませんでした。

実際の所は「平城遷都」前の古墳とも

一般には「市庭古墳(いちにわこふん)」とも言われる平城天皇陵は、現在は直径100メートルほどの円形をしており、その姿は大規模な「円墳」を彷彿とさせるものとなっています。しかし実際は平城宮の建設を行う際に、前方後円墳であった古墳の「方形」部分、南半分にあたる部分を掘削・破壊しその跡地に別の施設を建設したと言われており、「円墳」のように見える事実は、平城京建設時の土木工事に由来するものと考えられています。なお、その築造時期は5世紀の前半とされており、平城宮建設時には既に存在した事実と照らし合わせると平安初期に在位した平城天皇の御陵とされている事実とは矛盾が生じ、誰かの陵墓を天皇陵に転用したという解釈をせざるを得ませんが、宮内庁によって現在も「平城天皇陵」として治定されています。

平城天皇陵の風景

平城天皇陵(市庭古墳・楊梅陵)

アクセス

各駅からのアクセス

奈良交通バス

・JR、近鉄奈良駅から「西大寺駅」行き乗車、「平城宮跡」下車、北西に徒歩3分

・近鉄大和西大寺駅から「JR奈良駅西口」行き乗車、「平城宮跡」下車、北西に徒歩3分

※バス停を降り道路の北側に渡って頂くと、北西方向にかすかに古墳の入り口を確認することが出来ます。古墳は東西は集落に囲まれていますが、南側は平城宮跡の「草原」と隣接するような形となっています。

近鉄大和西大寺駅から東に徒歩20分

近隣スポット

水上池から南西に徒歩3分、平城宮跡遺構展示館から北西に徒歩5分、平城宮跡第一次大極殿から北東に徒歩5分、コナベ古墳から西に徒歩10分、ウワナベ古墳から西に徒歩15分

平城天皇陵周辺地図