【大安寺】がん封じの笹酒で有名なお寺は飛鳥時代からの歴史を持つ

大安寺(奈良市) 観光スポット・みどころ

当ページの内容を含め、奈良の観光スポットに関連する内容は原則としてコロナ禍前を中心とした状況に基づく「アーカイブ」的内容となっており、その後状況が変化している場合があります。
最新の状況については、各スポットに関する公式サイト、または観光協会などの情報発信などを別途ご確認下さい。

観光のご案内

概要

大安寺(だいあんじ)は、奈良駅の南側にあり田園風景も残る「大安寺」地区の地名の由来となっている高野山真言宗の寺院です。

本尊は奈良時代の木造十一面観音立像(秘仏・重要文化財)であり、一部時期に特別公開が実施されます。現在の境内はそれほど大きくありませんが、かつて巨大寺院として栄えたお寺は周辺に複数の関係遺跡を持ち、境内の外側には「塔跡」などの空間も別途広がっています。

歴史—奈良時代の「巨大寺院」は飛鳥時代にそのルーツを持つ

大安寺の歴史は「元興寺」などと同様非常に古いものであり、創建の由来をさかのぼると、聖徳太子が現在の大和郡山市額田部(ぬかたべ)にある額安寺付近にあったとされている「熊凝精舎」を建て、その後立派な寺院にするように改めて要請したという時点まで遡ります。

熊凝精舎はその後現在の桜井市にある「吉備池廃寺」と呼ばれる空間に「百済大寺」として立派に整備され、その後天武天皇2年(673年)には高市の地(現在の明日香村周辺)に高市大寺として移転し、更にその後天皇のお寺という意味も持つ「大官大寺」と改称され、飛鳥の地の中で再び移転するなどする中で伽藍が整備されていくことになりました。

しかしながら、藤原京から奈良の平城京へと遷都することになると大官大寺も移転することになり、遷都からやや遅れた霊亀2年(716年)には現在の地に移転し、「大安寺」になったとされています。

奈良時代に移転した後の大安寺の繁栄ぶりは著しく、「南都七大寺」に数えられ、東大寺や興福寺に匹敵する大伽藍を有する国家の拠点的役割を果たす寺院として、また仏教研究を行う「887人」の学侶を擁するほどに繁栄したとされています。多数の仏像や多数の経典を備えるお寺は道慈と呼ばれる僧侶の活躍もあり、南都六宗の一つである「三論宗」の本拠ともなり、インドや唐などからの渡来僧も滞在することになるなど、仏教研究の国際拠点とも言えるような壮大な空間であったとされています。

境内(伽藍)の状況としては、高さ70メートルを超えるとも言われる東西の七重塔や、金堂・南大門・三面僧坊などが配置されていたとされ、東西の塔と金堂が離れた位置関係となっているその伽藍配置は「大安寺式伽藍」とも呼ばれました。

そのような大寺院であった大安寺ですが、奈良から京都の地へと遷都した平安期以降は衰退の一途をたどることになります。平安時代には弘法大師空海が一時期別当を務めるなどの歴史を辿ったものの、平安時代後半には火災で境内の主要な建造物が大きな被害を受け、その後も復興へと力強く進むことはなく、江戸時代になる直前の慶長の地震などを経て伽藍にあった建造物はほぼ全て消失し荒廃が進むことになり、江戸時代から明治初頭には長らく廃寺同然の状況となってしまいます。その後は少しづつ復興が行われ、平成になると複数のお堂が新築されるなど復興が急速に進められている状況となっています。

文化財-建物は失われるも、奈良時代の仏像を多数安置

大安寺には国宝の文化財はありませんが、重要文化財に指定されている奈良時代の仏さまが多数安置されており、かつての建造物が全て失われているものの、奈良時代の面影をしっかりと感じて頂けるようになっています。

木造十一面観音立像(重文・奈良時代)

大安寺の本尊である木造十一面観音立像は、左手に宝瓶をお持ちになり、垂れた右手は与願の印を結ばれるお姿となっています。仏像の頭部は欠損して後世に補われ、胴体部分などは奈良時代のものがそのまま残された仏さまとなっており、つぎはぎの要素も目立つものの、身に着けている衣装である「条帛・天衣」や装身具である「瓔珞」を含め肉付きの良い佇まいは実に優雅かつ上品な「観音様」と言えるものとなっています。なお、公開は通年ではなく、基本的には秋の一時期に限っての特別公開となっています。

木造馬頭観音立像(千手観音・重文・奈良時代)

本堂の裏手にある「嘶堂(いななきどう)」に安置されている木造馬頭観音立像は、文化財としての登録上は「千手観音」となっている仏さまで、「馬頭観音」さまの一般的な意匠として見られる頭部に乗せられた「馬頭」が一切なく、その代わりに足首にが巻き付いたり、獣皮を身に着けるという特異なお姿をした仏さまとなっており、大いに怒りを見せた表情が特徴的な存在にもなっています。なお、馬頭観音は紀州徳川家の二代藩主「徳川光貞」が分厚い信仰を寄せたことでも知られています。

公開についてはこちらは通常春の一時期に限っての特別公開となっています。

木造不空羂索観音立像(重文・奈良時代)

収蔵庫に安置されている木造不空羂索観音立像は、奈良時代の仏さまとなっており、どっしりとした重厚なお姿をしておられる一方で、装飾性の余りない簡素な佇まいともなっており、古い時代の素朴なやさしさを感じて頂けるようになっています。

木造楊柳観音立像(重文・奈良時代)

病魔を防ぐ仏さまとしても知られる木造楊柳観音立像は、怒りの表情の一方で身に着けておられる衣の結び目や首飾りなどが華やかな印象を与える仏さまとなっており、収蔵庫に安置されています。「楊柳観音」さまは一般的に女性的な佇まいとして絵画・図像として描かれるケースが多く、この大安寺のものは実際に楊柳観音と名乗る数少ない仏像となっています。

木造聖観音立像(重文・奈良時代)

「十一面」観音・「千手」観音様のような「変化観音」ではなく、一面二臂(一つの顔に二本の腕)のお姿をした観音様である木造聖観音立像は収蔵庫に安置されており、やや劣化が進んでいる様子が見受けられますが、どっしりとした重厚感の中にも穏やかな雰囲気とあふれる慈悲を感じさせる仏さまとなっています。

木造四天王立像(重文・奈良時代)

収蔵庫に安置されている大安寺の木造四天王立像は、広目天以外の持国天・増長天・多聞天は右手を上にかざし、左手を腰に据えたお姿となっており、とりわけ多聞天の怒りの表情と今にも動き出しそうな勢いのあるお姿、また歯を見せる広目天のお姿が特徴的な存在となっています。これら四天王像は後世に補われた部分も多くなっていますが、基本的には奈良時代の終わりごろに造立されたものと考えられています。

その他の文化財

大安寺には、重要文化財に指定されているもの以外にも、弘法大師坐像二体・修行大師像・阿弥陀如来坐像・不動明王立像・虚空蔵菩薩坐像二体・弁財天像・道慈律師像・勤操大徳坐像など多数の仏像があるほか

「がん封じ」と「竹」で良く知られたお寺です

現在の大安寺は、主に「癌封じ」で高齢者を中心に厚い信仰を集める寺院となっており、毎年1月23日には光仁会と呼ばれる「癌封じ」の笹酒祭りが行われ、その日に限り門前に直行するバス便が運行され、境内では太い竹筒に入れられた笹酒が振る舞われます。

また境内には奈良市内のお寺では珍しく立派な「竹林」もあり、生涯の大半を「文化人」として政治から離れた環境で過ごされた「光仁天皇」が大安寺境内の竹林でお酒を飲まれた伝説などにちなみ、6月にも「癌封じ夏祭り」として「竹供養」の行事が行われます。

大安寺のみどころ・風景

山門

大安寺の山門

かつての規模は失われ、現在はひっそりとした小さなお寺となった大安寺ですが、平成12年にかつての興福寺塔頭寺院である「一乗院」の山門を移築・復元整備した大変立派な「山門」は境内では例外的に分厚い存在感を放っており、周辺でも目立った存在となっています。

本堂

大安寺「本堂」

境内地は建造物よりも自然が多い環境となっていますが、山門から少し西寄りに進んで頂くと小ぶりな「本堂」が見えてきます。本堂自体は明治時代の建築であり、文化財などに指定されているものではありませんが、内陣には特別公開時のみ拝観可能な本尊「十一面観音立」像がお祀りされています。

竹林(いのちの小径)

大安寺の竹林

本堂と山門の間にあたる境内南側の一部は、奈良市内のお寺では比較的珍しい立派な「竹林」があり、「いのちの小径」として内部を歩いて頂けるようになっています。

噺堂

大安寺噺堂(いななきどう)

少し変わった名前のお堂である「噺堂(いななきどう)」には、強い怒りの表情が印象的な「馬頭観音立像」が安置される空間となっています。

護摩堂

嘶堂の近くには、新築されて間もない「護摩堂」の建物もあり、護摩供養が実施される空間となっています。

讃仰殿(宝物殿)

大安寺讃仰殿(宝物殿)

大安寺収蔵の文化財が多数展示されている讃仰殿(宝物殿・収蔵庫)。こちらは本堂の拝観料を支払うことで拝観して頂けるようになっており、木造不空羂索観音立像・木造楊柳観音立像・木造聖観音立像・木造四天王立像などが安置される空間となっています。

その他境内の風景

大安寺中門跡

山門の近くには、大安寺の「中門跡」と呼ばれる空間があり、石塔や石仏なども多数並ぶエリアにもなっています。

境内の北側には大安寺歴代住職の供養碑があり、立派な五輪塔が設置されています、

余り知られていない存在としては、「稚児大師像(弘法大師七才像)」があり、人間国宝である鹿児島寿蔵氏が高野紙で作られた稚児大師像を石像にしたものが設置されています。

境内外の関連スポット

大安寺塔跡

大安寺の山門から南にしばらく進んだ位置には、かつての巨大な東西の「七重塔」の遺跡(大安寺塔跡)があります。塔ははるか昔に失われていますが、現在は遺跡としての整備が行われており基壇などが一部復元されています。

八幡神社(元石清水八幡宮)

大安寺塔跡と現在の境内の間には、かつて大安寺の鎮守神として信仰を集めた「八幡神社」があります。この神社は「石清水八幡宮」のルーツであるという伝説も残されているなど歴史が深く、現在も多数の境内社や重厚な本殿・中門などが残された空間となっています。

【八幡神社(元石清水八幡宮)】大安寺の鎮守神としての長い歴史を持つ市内有数の神社
当ページの内容を含め、奈良の観光スポットに関連する内容は原則としてコロナ禍前を中心とした状況に基づく「アーカイブ」的内容となっており、その後状況が変化している場合があります。最新の状況については、各スポットに関する公式サイト、または観光協会...

大安寺北面中房跡

境内から北にしばらく進むと、かつての「僧坊」跡の基壇が復元された「大安寺北面中房跡」があります。

大安寺杉山瓦窯跡

境内から徒歩5分程度離れた住宅街の一角には、大安寺で使用した瓦を焼きあげた場所である「大安寺杉山瓦窯跡」もあり、瓦窯の様子が復元されています。

拝観情報

拝観料(本堂・収蔵庫)

大人400円・高校生300円・中学生200円・小学生100円(秘仏特別公開時は100円増し)

※団体・障害者割引あり

拝観時間

午前9時~午後5時(受け付けは午後4時まで・12月31日のみ拝観不可)

◇リンク

大安寺ホームページ

次項では、交通アクセスについてご案内致します。

アクセス(電車・バス)

近鉄・JR線各駅からのアクセス

奈良交通バス

・JR、近鉄奈良駅から「白土町」「シャープ前」「イオンモール大和郡山」「杏南町」「杏中町」行き乗車、「大安寺」下車、南西に徒歩10分

※大安寺バス停を降り、南側すぐの交差点を渡り、西に5分くらい進んで頂くと「大安寺北面中房跡」の遺跡が見えてきます。その遺跡沿いの道を南に少し進んで頂くと、西側一帯が大安寺境内となっており、途中の交差点前に山門があります。

JR奈良駅から南に徒歩25分

※境内東側(山門前にある交差点の東側)に駐車場あり

周辺のみどころ・観光スポット

大安寺八幡神社から北にすぐ、大安寺塔跡から北に徒歩2分、大安寺北面中房跡から南に徒歩2分、杉山古墳から南に徒歩5分、佐保川の桜並木(高橋)から南西に徒歩14分

大安寺周辺地図