奈良の奥座敷「柳生」エリアの主な区域を含む「柳生町」界隈。こちらでは、地理・みどころ・風景など地域の基本的な情報をご紹介していきます。
地理・概要
読み | やぎゅうちょう |
交通 | 奈良交通バス「柳生」バス停 |
人口 | 約220人(2021年現在) |
校区 | 興東館柳生中学校・柳生小学校 |
郵便番号 | 630-1237 |
奈良市の柳生町は、剣豪の郷として一般的も広く知られる奈良「柳生」地域の南側一帯を占める地域です。
町内は山に囲まれた打滝川と呼ばれる河川の川筋に沿って農地や家屋が見られ、柳生地域の「観光名所」として知られる各スポットも大半がこの町内に見られ、「久保田亭」など複数の民宿も営業しています。
なお、町内の南東側の一部は「大和高原カントリークラブ」の敷地となっているほか、斜面の一部などには茶畑も見られます。
教育機関としては、かつては奈良市立柳生中学校があり、現在もその大きな建物が残されていますが、少子化の影響で2015年には奈良市立興東中学校と統合する形で閉校しています。
歴史・みどころ
現在の柳生町一帯は、歴史に名を残す「柳生一族」が代々統治してきた「柳生藩」の中心に当たる地域で、現在も柳生藩ゆかりの観光スポットが複数残されています。
「柳生一族(柳生氏)」は中世頃からその名が見られはじめ、一般には柳生家厳(いえよし・石舟斎)よその子である柳生宗厳(やぎゅうむねよし)の時代から大きく歴史に名を残すようになり、藩の規模自体は小さなものですが、徳川家の「剣術指南役」として長らく重要な役割を果たしていきました。
柳生町の区域内に残る歴史的なみどころとしては、以下のようなものがあります。
旧柳生藩家老屋敷は、その名の通り柳生藩ゆかりの「武家屋敷」であり、柳生藩に関する展示なども行われています。
旧柳生藩陣屋跡は、柳生藩の中枢である藩庁・陣屋のあった場所であり、現在は復元された基壇などのみが見られます。
柳生花しょうぶ園は、陣屋跡などのあるエリアから少し南に進んだ場所にある奈良市内唯一の「しょうぶ」の大規模なみどころであり、毎年6月頃には美しい風景をご覧いただくことが可能です。
柳生八坂神社は、柳生藩関係者の深い信仰を集めてきた神社であり、現在も柳生地域を代表する神社として立派な社殿などが残されています。
陣屋跡などのあるエリアからやや離れた町内南東側の山中には、巨石信仰に基づく空間として「天乃石立神社(あめのいわたてじんじゃ)」及び「一刀石」があり、2020年には「鬼滅の刃」の公開によってその関連スポットとして人気を集めたことでも知られます。
陣屋跡のそばには摩利支天山・摩利支天碑と呼ばれる空間があり、武道の神が祀られているほか、少し眺めの良い空間にもなっています。
柳生街道沿いのハイキングコース沿いには、「疱瘡地蔵」と呼ばれる石仏と徳政令に由来する「正長元年柳生徳政碑」と呼ばれる史跡も残されています。
柳生地域へは、奈良市街地から「柳生街道」に沿ってハイキングで訪れることが可能です。柳生街道は自然豊かで沿道の見どころも多く、京阪神などから多くのハイキング客が訪れる定番ルートとなっています。
なお、柳生地域全体の観光情報の詳細については、上記の記事でも詳しくご案内しております。
柳生町の風景
町内は山里の自然あふれる風景が広がり、観光スポット巡りに加え、「柳生街道」沿いのハイキング客も見られる地域です。
柳生町周辺地図・交通
柳生町は、北側を柳生下町、西側を阪原町、南側を大保町、東側を興ヶ原町・邑地町と隣接しています。
交通機関については、奈良交通バスでJR・近鉄奈良駅から「石打」・「柳生」行きをご利用の上、町内の「柳生」バス停で下車するルートとなります。バスは1日数本程度で、あらかじめ時刻を確認することが必須です。なお、町内の国道沿いには「正木坂」・「山脇」・「辻村」バス停が別途存在しますが、こちらはスクールバス便の専用停留所であり、実質的に一般の利用は想定されていません。
道路アクセスについては、奈良方面及び名阪国道針IC方面からの国道369号線のほか、国道163号線及び笠置町内から、また月ヶ瀬方面(伊賀市方面)からのアクセスルートにもなる京都府道・奈良県道4号線が通っており、マイカーによるアクセスが多い地域です。
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