【近鉄の歴史】創業期から1945年(終戦)までの軌跡を追う【大阪電気軌道・参宮急行電鉄】

基礎知識・お役立ち情報

大阪府・奈良県・三重県の広い範囲に路線を広げ、名古屋や京都にも乗り入れる日本最大の私鉄「近畿日本鉄道」。

本ページでは、そんな「近畿日本鉄道(近鉄)」の歴史について、まずは創業期から1945年(昭和20年・終戦)までの歴史を見ていきたいと思います。

なお掲載している内容の一部は『近畿日本鉄道100年のあゆみ : 1910〜2010』(2010年12月・近畿日本鉄道発行)を参考にしています。

明治時代

1898年(明治31年)3月24日:河陽鉄道(後の河南鉄道・大阪鉄道)が現在の近鉄南大阪線の一部として道明寺駅~古市駅間を開業しました。なお、この時点では近鉄の直接的なルーツである「大阪電気軌道」はまだ存在していません。

1902年(明治35年)12月12日:河南鉄道の滝谷不動駅~長野駅(現在の河内長野駅)が開業し、現在の近鉄長野線にあたる区間が全通しました。

1910年(明治43年)9月16日:奈良~大阪間を短縮ルートで結ぶ路線を建設する「奈良軌道」として設立されました。当初は「奈良電気鉄道」を名乗る予定でしたが、認められず奈良軌道となりました。
1910年(明治43年)10月15日:「奈良軌道」から「大阪電気軌道」に社名が変更されました。

大正時代

1913年(大正2年)1月26日:建設中の生駒トンネルで落盤事故が発生し、多数の死傷者が生じました。
1913年(大正2年)6月1日:現在の近鉄湯の山線にあたる区間の一部として、四日市鉄道により川島村駅(現在の伊勢川島駅)~湯ノ山駅(現在の湯の山温泉駅)間が開業しました
1913年(大正2年)8月4日:鉄道の開業に先立ち大阪府下の一部地域で電気供給事業を開始しました。

1914年(大正3年)4月30日:大阪電気軌道奈良線として上本町駅~奈良駅(仮駅)間が開業しました。途中駅としては鶴橋駅・片江駅・深江駅・小阪駅・若江駅・瓢簞山駅・枚岡駅・石切駅・生駒駅・富雄駅・西大寺駅が開業しました。
1914年(大正3年)7月8日:奈良駅が仮駅のある高天町から東向中町まで東側に延伸されました。合わせて奈良駅前駅(後の油坂駅)が開業しました。

1916年(大正5年):大阪電気軌道が東大阪土地建物株式会社を設立し、付帯事業として不動産事業を開始しました。

1918年(大正7年):大和鉄道が後の近鉄田原本線にあたる区間(新王寺駅~田原本駅)を開業しました。

1921年(大正10年)1月1日:大阪電気軌道が天理軽便鉄道を買収しました。
1921年(大正10年)4月1日:第二の路線として畝傍線がまずは西大寺駅(現・大和西大寺駅)~郡山駅(現・近鉄郡山駅)間において複線で開業しました。

1922年(大正11年)1月25日:生駒鋼索鉄道を合併し、大阪電気軌道の生駒鋼索線(生駒ケーブル)として運行開始します。
1922年(大正11年)4月1日:天理軽便鉄道線から受け継いだ路線のうち、平端駅~天理駅間を天理線として電化・標準軌に改軌しました。また、畝傍線の郡山駅~平端駅間が複線で開業しました。
1922年(大正11年)5月5日:来日していたイギリスのエドワード王太子が上本町~奈良駅間でご乗車になりました。

1923年(大正12年)3月21日:畝傍線(現在の橿原線)が全通しました。

1924年(大正13年)3月2日:大軌畝傍線が全線複線化されました。
1924年(大正13年)10月31日:大軌国分線(後の大阪線)の一部として足代駅(現在の布施駅)~八尾駅(現在の近鉄八尾駅)間が開業しました。

1925年(大正14年)3月21日:大軌八木線(後の大阪線)として高田駅(現在の大和高田駅)~八木駅(現在の八木西口駅)間が開業しました。
1925年(大正14年)9月30日:大軌国分線(後の大阪線)の八尾駅~恩智駅間が開業しました。
1925年(大正14年)12月20日:現在の鈴鹿線の一部が伊勢鉄道神戸支線として、伊勢若松駅~伊勢神戸駅(現鈴鹿市駅)間で開業しました。

1926年(大正15年)6月11日:近鉄菖蒲池駅前に、大阪電気軌道が運営する「あやめ池遊園地」が開園しました。
1926年(大正15年)9月16日:初代「上本町ターミナルビル」が開業しました。

昭和初期~終戦

1926年(昭和元年)12月30日:生駒鋼索線の「宝山寺2号線」が開業し、鳥居前駅~宝山寺駅間が複線化されました。

1927年(昭和2年)7月1日:大軌八木線(現在の大阪線布施駅~大和八木駅間)が全通しました。
1927年(昭和2年)9月28日:大阪電気軌道は三重県・伊勢方面への路線進出を目的とした子会社「参宮急行電鉄」を設立しました。

1928年(昭和3年)1月8日:大阪電気軌道が参宮急行電鉄との並行区間にある「長谷鉄道」を補償・競争回避の観点から合併し、大軌長谷線となりました。
1928年(昭和3年)11月15日:大阪電気軌道・京阪電気鉄道がそれぞれ50%を出資した奈良電気鉄道の京都駅~西大寺駅間の本線(現在の近鉄京都線)が全線開業しました。

1929年(昭和4年)1月5日:大阪電気軌道桜井線(大軌八木駅~桜井駅間・現在の大阪線の一部)開通時に、畝傍線との交差部分に大軌八木駅を移設し、それまでの八木駅を八木西口駅に改称しました。なお、開業に合わせ布施~八木間の架線電圧も600Vから1500Vに昇圧されました。
1929年(昭和4年)3月27日:大阪電気軌道が生駒山上遊園地を開園しました。
1929年(昭和4年)3月29日:大阪鉄道の古市駅~久米寺駅(現在の橿原神宮前駅)間が開業し、現在の近鉄南大阪線にあたる区間がほぼ全通しました。
1929年(昭和4年)3月31日:大阪電気軌道が伊賀電気鉄道を合併し、大軌伊賀線としました。
1929年(昭和4年)5月25日:大阪電気軌道が直営で乗合自動車(バス)の営業を開始(奈良春日奥山周遊線)しました。
1929年(昭和4年)7月23日:現在の志摩線の前身として、志摩電気鉄道が鳥羽駅~賢島駅~真珠港駅間を開業しました。
1929年(昭和4年)8月1日:大阪電気軌道が吉野鉄道を合併し、大軌吉野線としました。
1929年(昭和4年)10月27日:参宮急行電鉄「本線」の一部として桜井駅~長谷寺駅間が開業しました。
1929年(昭和4年):現在の近鉄南大阪線・長野線等を運営していた「大阪鉄道」に対し、株の保有率を高めた大阪電気軌道が取締役等を送り込み、経営上の介入を強めていきます。

1930年(昭和5年)5月18日:参宮急行電鉄津線の参急中川駅(現在の伊勢中川駅)~久居駅間が開業しました。
1930年(昭和5年)7月10日:吉野線の橿原神宮前駅~久米寺駅(現在の橿原神宮前駅)間を三線軌条化し、吉野線と畝傍線の電車が相互に乗り入れを開始しました。
1930年(昭和5年)12月9日:南和電気鉄道(後に合併)が現在の近鉄御所線にあたる尺土駅~南和御所町駅(現在の近鉄御所駅)間を開業しました。
1930年(昭和5年)12月15日:大阪電気軌道の信貴線が開業しました。
1930年(昭和5年)12月20日:この年順次開業していった参宮急行電鉄本線の長谷寺駅~山田駅(現在の伊勢市駅)間が全通し、大軌・参急線上本町駅~山田駅間の直通運転が開始されました。

1931年(昭和6年)3月17日:参宮急行電鉄本線の山田駅~宇治山田駅間が開業しました。
1931年(昭和6年)7月4日:参宮急行電鉄津線の久居駅~津新町駅間が開業しました。

1932年(昭和7年)1月1日:当時の日本では最も性能の高い電車とも言われた2200系電車を投入し、大軌・参急上本町駅~宇治山田駅間に特急電車が運転開始しました。
1932年(昭和7年)4月3日:参宮急行電鉄津線の津新町駅~津駅間が開業しました。

1935年(昭和10年)2月:奈良市内のバス路線を運行していた奈良自動車(現在の奈良交通の前身)の全株式を大阪電気軌道が取得しました。

1936年(昭和11年)1月24日:名古屋方面への路線建設を目的とした子会社「関西急行電鉄」を設立しました。
1936年(昭和11年)9月15日:参宮急行電鉄が伊勢電気鉄道を合併し、桑名駅~大神宮前駅間を伊勢線としました。

1937年(昭和12年)11月:資本関係のある大阪鉄道により、大鉄百貨店本館(現・あべのハルカス近鉄本店)が設置されました。

1938年(昭和13年)2月1日:参宮急行電鉄線と並行していた大阪電気軌道の長谷線が廃止されました。
1938年(昭和13年)6月20日:参宮急行電鉄が津線津駅~江戸橋駅間を開通させ(津線が全通)伊勢線との接続が図られました。
1938年(昭和13年)6月26日:関西急行電鉄が桑名駅~ 関急名古屋駅(現在の近鉄名古屋)間を開業しました。

1939年(昭和14年):この年から翌年春にかけて、橿原線の八木駅~橿原神宮前駅にあたる新線部分の開業に伴い旧線が廃止され、大阪鉄道の久米寺駅のある場所に統合された新「橿原神宮駅」駅が開業しました。なお、駅名は橿原神宮駅駅と「駅」が続く名称であり、これは間違いではありません。

1940年(昭和15年)1月1日:参宮急行電鉄が関西急行電鉄を合併し、名古屋までの区間も参急の路線となりました。
1940年(昭和15年)8月1日:参宮急行電鉄が三重県の桑名から岐阜県の大垣・揖斐を結ぶ養老鉄道を合併し、参急養老線としました。

1941年(昭和16年)3月15日:大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併し、関西急行鉄道が成立しました。なお、このタイミングでこれまでの「参急本線」は伊勢中川駅で区切られる形で「大阪線」・「山田線」という現在の名称に置き換えられました。

1942年(昭和17年)3月6日:戦後には奈良県内最大のベッドタウン駅として著しく発展する「学園前駅」が、まずは帝塚山学園の学生の利便を図る目的で開業しました。
1942年(昭和17年)4月1日:創業当初から運営していた電気供給事業を関西配電(現在の関西電力)に譲渡しました。
1942年(昭和17年)8月11日:元伊勢電気鉄道の路線の一部であり、継承後も運営していた伊勢線の新松阪駅~大神宮前駅間について、戦時下における不要不急線として廃止されました。なお、当該区間は関鉄山田線・省線参宮線が近接していたことから、その重要性は低くなっていました。

1943年(昭和18年)2月1日:既に経営上の支配下に置かれていた大阪鉄道を合併し、現在の南大阪線・長野線等を関西急行鉄道の路線としました。同時に、本社を奈良線のターミナルである上本町から旧大阪鉄道本社のあった阿部野橋に移転しました。
1943年(昭和18年)7月1日:大阪電気軌道傘下の吉野宇陀交通・普賢南和乗合自動車・大峯自動車・吉野自動車が奈良自動車に合併しました。同月23日には「奈良交通」に名称変更し、奈良県における現在の「奈良交通独占」の仕組みが成立しました。

1944年(昭和19年)4月1日:関西急行鉄道が南和電気鉄道(現在の御所線を運営)・信貴山急行電鉄(現在の信貴山ケーブル)を合併しました。
1944年(昭和19年)6月1日:関西急行鉄道と南海鉄道(現在の南海電鉄)が合併し、旧「近畿日本鉄道」が設立されました。合併にあたっては、4営業局による運営体制(難波・天王寺・上本町・名古屋の各営業局)が取られました。

1945年(昭和20年)6月1日:戦時下に伴う不要不急線として伊賀線の鍵屋辻駅・広小路駅・四十九駅・市部駅・上林駅及び伊賀神戸駅~西名張駅間が休止されました。

1945年(昭和20年)3月14日:大阪大空襲により近畿日本鉄道阿倍野百貨店(現在のあべのハルカス近鉄本店)が罹災しました。

まとめ

現在の近鉄グループの歴史は、創業期から第二次世界大戦終戦までの期間を見ると、様々な鉄道会社や路線名が登場する等比較的込み入っており、単純に把握するのは少し難しい歴史となっています。

近鉄の直接的な「前身企業」としては、奈良線や畝傍線(橿原線)、八木線(大阪線)等を開業した「大阪電気軌道」が直接のルーツとなります。

一方で、南大阪線や吉野線・御所線といった線区は当初は大阪電気軌道ではなく、別企業が早くは明治期から既に建設していた路線を、最終的に傘下に収める形となっています。

現在の大阪線・山田線・名古屋線にあたる各線を建設し「伊勢・名古屋進出」を果たす上では、「参宮急行電鉄」や「関西急行電鉄」といったグループ企業が設立され、それらの会社が建設や運行を担う仕組みが取られました。

戦時体制に入ると、統合によって奈良周辺に点在していた鉄道会社を吸収するばかりか、「近畿日本鉄道」が成立した1944年からしばらくは、現在の南海電鉄とも一体化していた時期もありました。「近畿日本鉄道」の路線網としては、この南海線を含む時期の路線網が最も営業キロ数が長いものでした。