【きたまち】近鉄奈良駅北側には「ならまち」とは違った魅力にあふれる町並みが広がる

観光スポット・みどころ

当ページの内容を含め、奈良の観光スポットに関連する内容は原則としてコロナ禍前を中心とした状況に基づく「アーカイブ」的内容となっており、その後状況が変化している場合があります。
最新の状況については、各スポットに関する公式サイト、または観光協会などの情報発信などを別途ご確認下さい。

「きたまち」とは?

奈良「きたまち」は、近年「ならまち」エリアに続く形で注目を浴びるようになった奈良の新しい「観光」エリアです。

きたまちエリアは、かつての奈良の旧市街(奈良町)の中で北側の地域、現在の近鉄奈良駅より北に広がる一帯を指す名称となっており、東大寺の境内などに隣接する地域も多くなっています。

特徴としては、般若寺や奈良豆比古神社をはじめとする静かで奥行きのある寺社があることや、奈良少年刑務所跡(旧奈良監獄)・奈良女子大学記念館などならまちエリアでは見られない近代建築・レトロ感あふれる空間が比較的多くなっていることが挙げられるなど、様々な時代の様々なみどころを味わうことが出来る地域となっており、有名スポット巡りだけではなく、少しマニアックな・奥深い奈良を知りたい方には大変おすすめ出来る場所となっています。

また、近年は複数のカフェ・雑貨店・飲食店・ゲストハウスなども相次いで開業しており、ならまちと同じように若い観光客の方も多く訪れるエリアへとなりつつあります。

「きたまち」の歴史

きたまちエリアの歴史は、ならまちエリアと同様に非常に古い時代にさかのぼります。

ならまちエリアの場合は「元興寺」という巨大寺院の衰退によって旧境内が市街地に変化していったという歴史がありましたが、きたまちエリアにあたる場所についても、元興寺ほどわかりやすい構図ではありませんが、かつて今よりも少し広かった「東大寺境内」にあたる区域も含まれており、否応なく東大寺との関わりの中で歴史が形作られてきました。また、きたまちエリアは、京都と奈良を結ぶ「京街道」沿いであったこともあり、ならまち同様「商業」のまちとして栄えた歴史も持っており、現在でも少しだけその面影を留めた空間も残されています。

ちなみに、奈良町エリアと比べると、きたまちエリアには「奈良町」の「外縁部」とも言ってよい場所が多いため、現在「きたまちエリア」とされている場所の全てがかつての「奈良町」の町並みに含まれていた訳ではありません。京街道沿いなどを中心に町並みが発展した一方で、現在の聖武天皇陵より西側のエリアなどは長らく「農村」地域であった歴史を持っているなど、町家ばかりであったならまちエリアと比べると、様々な特色のある地域が集まった地域となています。

なお、この他には江戸時代になると現在の奈良女子大学附近に幕府直轄の「奈良奉行」が設けられ、奈良の行政の中心地にもなったという歴史も持っており、裁判などが実施されていた奈良奉行については周辺の町家からは内部が見えないよう、「2階部分に窓が設けられなかった」というエピソードも残されています。

きたまちエリアの主要観光スポット

東大寺転害門

東大寺転害門は、京街道沿い、「奈良市きたまち転害門観光案内所」のすぐそばにある巨大な門です。

この転害門は、奈良時代に建てられた建築がそのまま残されているという大変貴重なものであり、東大寺境内では最古級の建築物の一つとなっています。

般若寺

般若寺は、きたまちエリアの北側、京街道沿いに位置するお寺です。

花のお寺として大変有名な般若寺は、とりわけ「コスモス」の美しさでは奈良随一と言ってもよい名所となっており、花の見頃になると数多くのアマチュアカメラマンなども訪れる空間になっています。

旧奈良監獄(奈良少年刑務所跡)

旧奈良監獄(奈良少年刑務所跡)は、京街道から少し離れた高台、北山十八間戸や般若寺からも近い場所にある近代建築です。

「明治の五大監獄」のうちの一つに含まれる旧奈良監獄は、明治期のレンガ建築がほぼそのまま残されている大変貴重な空間で、「監獄ホテル」や「史料館」としてリニューアルが予定されています(2023年現在の状況)。

聖武天皇陵・光明皇后陵

聖武天皇陵・光明皇后陵は、転害門などから西寄りに少し離れた場所にある奈良時代を象徴する天皇・皇后の陵墓です。

現在は宮内庁の管轄となっているこの地には、かつて明治になるまでは巨大寺院「眉間寺」があった他、戦国時代には松永久秀の「多聞城」が設けられていた区域にもあたり、様々な歴史的背景を持つ場所にもなっています。

奈良豆比古神社

奈良豆比古神社(ならつひこじんじゃ)は、きたまちエリアの北端部、「奈良阪」と呼ばれるエリアに位置する神社です。

この神社は、毎年10月に実施される重要無形民俗文化財「翁舞」で大変有名な神社であるほか、境内の奥には樹齢約1000年とも言われる巨大なクスノキがあり、実に神秘的な風景が広がっていることでも知られています。

五劫院

五劫院(ごこういん)は、きたまちえリアの東端部、東大寺の北側に位置する小さなお寺です。

このお寺はなんといっても「アフロヘア―の仏さま」として知られる「五劫思惟阿弥陀仏像」で非常に有名なお寺であり、そのユニークな姿を一目見ようと特別公開中には仏像ファンの方が数多く訪れます。

入江泰吉旧居

入江泰吉旧居は、きたまちエリアの中でも東大寺境内と隣接する「水門町」と呼ばれる地域にある奈良を代表する写真家として知られ、仏像や昭和の奈良・大和路の風景を数多く写真におさめて来た故「入江泰吉氏」の自宅を公開した観光施設です。

写真家の居宅らしく現像するための空間などもそのまま残されており、その「作品世界」に思いをはせることが出来る空間ですので、「入江ファン」の方には非常におすすめの空間と言えるでしょう。

東大寺西大門跡

東大寺西大門跡は、きたまちエリアと奈良公園エリアの境界部分、奈良県庁や依水園などにも近い場所にある遺跡です。

かつてこの場所はその名の通り「転害門」などと同じように東大寺の巨大な「西大門」があった場所であり、現在でもその礎石が残されているほか、一帯はイチョウや八重桜など、季節折々の風景が美しい場所にもなっています。

奈良女子大学構内の近代建築

奈良を代表する大学である国立「奈良女子大学」の敷地内には、大学創立当初から変わらず使用されている近代建築が複数残されています。

とりわけ正門前からもその美麗な姿をご覧いただける「記念館」については、一般公開が行われることもあり、時には内部をご覧いただけるようにもなっています。

北山十八間戸

北山十八間戸(きたやまじゅうはちけんこ)は、転害門から般若寺へと進む京街道沿いの途中の傾斜地にある「中世の福祉施設」として用いられてきた建物です。

鎌倉時代に活躍した忍性菩薩によって建立された建物は、難病患者を保護するための施設として用いられたと考えられており、他では余り見られない長さ40メートル近く、幅は4メートルほどの長細い独特の建築をご覧いただけます。

京街道沿いの町並み

きたまちエリアのメインストリートとも言える「京街道」。京街道は、現在の奈良県庁の東側からひたすら北に進み、転害門・般若寺・奈良豆比古神社方面へと進むルートになっており、かつては京都と奈良を結ぶ主要ルートとして物資の運搬などに重要な役割を果たして来ました。

かつては奈良有数の「商人のまち」であった京街道沿いは、現在は比較的静かな風情が広がっているものの、一部には古い商家の建築や、レトロ感あふれる建物なども残されており、歴史的風情を感じられる町並みとなっています。

観光案内所について

きたまちエリアには、地域活性化・観光拠点として機能することを目的に設置された「観光案内所」が2か所設けられています。

一つ目は、「奈良市きたまち転害門観光案内所」

こちらは東大寺転害門のすぐそばにあり、レトロ感あふれる銀行の支店跡を活用した観光案内所となっています。

二つ目は、「旧鍋屋交番きたまち案内所」

こちらは近鉄奈良駅から徒歩圏、奈良女子大学正門近くにあり、「交番跡」の近代建築を活用した観光案内所となっています(いずれも定休日などがありますのでご注意ください)。

いずれの観光案内所でもきたまちエリアの観光スポットなどに関する案内が受けられるようになっています

交通アクセス

きたまちエリアへの交通アクセスについては、範囲が広いためにアクセスする観光スポットによって徒歩・バスのどちらを使うかはそれぞれ異なります。

個々の観光スポットに関しては、バスでアクセスしなければいけない距離の場所も多くなっています。バスはJR奈良駅西口・近鉄奈良駅から「青山住宅」・「州見台八丁目」行きを利用するのが基本の形となっています。

個々の観光スポットに行くだけではなく、全体を巡るようにきたまちエリアを散策する場合、近鉄奈良駅から徒歩でアクセスし、転害門・般若寺や奈良阪方面のバス停まで行くようなルート、またその反対で行きたい場所までバスでアクセスしてから、駅まで歩いて戻るようなルートを組み立てることもおすすめです。