奈良の鹿が「捕獲」される?「鹿の保護」と「農業被害」対策の折り合いの難しさ

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この記事では、近年開始された「奈良」の「鹿」の「捕獲」について、その経緯や「農業被害」などの観点から解説・考察していきます。

鹿の捕獲は、様々な議論を呼び起こすなど賛否両論渦巻く状況です。

そのような中でも、なぜ捕獲されることになったのか。また捕獲される「鹿」とはどのような鹿なのか。そもそも「奈良の鹿」の定義とは何なのか。様々な「難しさ」の原因となる状況について見て行きたいと思います。

奈良で「鹿の捕獲」がはじまりました

2017年。「奈良の鹿」を巡る歴史は大きな転換点を迎えました。

どのような変化があったのか。

それは、「捕獲」が開始されることになったというものでした。

どのような「捕獲」事業なのかと言うと、奈良の鹿を保護する区域(奈良市内)のうち、一般的な奈良の鹿が生息している奈良公園一帯から離れた奈良市内の山間部で、農業被害を防ぐために鹿の捕獲を許可するというもので、年間120頭までの捕獲が可能となりました。

奈良市内では、東部山間部において鹿によるものとみられる農業被害が戦前期から深刻であり、現在までその被害は改善の兆しがない状況が続いてきました。しかし、奈良市全域が天然記念物指定を受けた鹿の保護区域であったことから狩猟が禁じられ、長年その被害は放置され続けて来たという歴史があります。

この状況に対しての農業者の怒りは相当なもので、昭和期には複数回の「鹿害訴訟」なども経て、山間部では許可を受けた上での捕獲が認められるようになりましたが、その後も長年奈良県は鹿を捕獲せずに保護する施策を続け、平成の終わりに近い、2017年になってようやく行政が「捕獲」を行うための枠組みの許可を国から得て「捕獲」事業を行うようになったのです。

捕獲の是非について

鹿の「捕獲」。これは、捕まえて保護する。という意味と捕まえて駆除(死なせる=狩猟)という意味の2つの意味がある言葉ですが、2017年から開始された捕獲事業は、まぎれもなく後者のほう、鹿を死なせる形で駆除するという意味での捕獲事業です。

奈良の鹿は、奈良・平安時代以降「神の使い」として厳格な保護が行われてきた歴史があり、近代以降は明治維新後や第二次大戦の終戦前後など一時的に狩猟されることはあったものの、基本的にはやはり「保護」を重視した施策が取られてきたため、「農業被害を防ぐ」という名目で捕獲するという事業は、その歴史を塗り替える大きな変化と言えるものでした。

そのような状況下では、当然ながらこれまでとは違う施策に対し、様々な声が寄せられることになります。とりわけ「奈良の伝統に反し神鹿を死なせるとはどういうことか」という批判、「動物愛護精神に反する」という批判はかなり寄せられたようです。

一方で、当然ながら大きな経済的ダメージを受け続けてきた「農業者」からは歓迎する声も多く、更に捕獲を推進するべきだ。という声もあります。

また、捕獲を実施していく奈良県の立場としても、適切な保護と良好な地域環境の両立のためには今回の捕獲事業は有意義なものである。という考え方を取っておられます。

捕獲される鹿は「奈良の鹿」なのか?

さて、様々な意見がある「奈良の鹿『捕獲事業』」なのですが、この事業については、忘れてはいけないこと、誤解してはいけない点があります。

それは、「実施区域は奈良公園一帯から離れた東部山間部である。」という事実です。

以下の記事でも詳しく解説していますが、天然記念物である「奈良の鹿」は奈良公園周辺ではなく、大和高原エリアから西部のニュータウン地域に至るまでの広大な「奈良市全域」を生息区域=保護区域とするという形で法的に定められてしまったことで、奈良公園からかなり離れた場所であっても農業被害が抑えられなかったという側面は多々あります。

つまり、法的には「奈良の鹿」を捕獲しているということには間違いないのですが、今回の捕獲対象は、一般的にイメージされる「奈良公園」一帯に生息する奈良の鹿ではなく、山間部に生息する奈良の鹿が対象となっているのです。

様々な批判をされる方の中には、奈良公園の鹿を捕獲すると勘違いされている方も一部ではいらっしゃるようですが、奈良公園一帯に生息する鹿については、これまでと同様厳格な「保護」政策が続けられていくことになります。

奈良県も、捕獲される鹿は奈良公園一帯に生息している鹿とは異なる野性味の強い鹿であり、いわゆる「奈良の鹿」とは違うということを強調しておられますので、その点はおさえておく必要はあるのです。

もっとも、奈良公園一帯に生息している鹿の中でも、たいていは公園周辺をウロウロするだけとは言え、行動範囲が広いものは「捕獲エリア」に移動してしまう場合もないとは言えません。その意味では、公園にいた鹿が、数日後には捕獲されてしまうというリスクをゼロにすることも出来ません。完全な「線引き」はなかなか難しいのも実情となっています。

また、種類的には全く同じ鹿である公園周辺の鹿とそれ以外のエリアの鹿に区別をつけることが妥当なのか。という点も議論の余地があるかもしれません。このあたりについては、議論の収拾をつけることは出来ないテーマとも言えるでしょう。

今後はどうなる?

「捕獲事業」が開始された一部の「奈良の鹿」。

2017年度から捕獲が開始され始めましたが、1年間の捕獲頭数を「120頭」という枠で設定していたものの、最初の年は、実際の捕獲頭数は1年間で19頭に過ぎませんでした。

しかし、2018年度については捕獲頭数が増加しており、100頭程度にまで増加しています。これは、2017年度の捕獲エリアが東部山間部のうち「東里地区」と「田原地区」という、とりわけ鹿の多いエリアのみだったのが、柳生・大柳生・狭川・精華地区といった更に外側のエリアにまで拡大されたことが影響しているとも考えられます。

また、その後は計画頭数に応じた捕獲頭数となっており、2021年の場合160頭と開始時期と比べ捕獲頭数が増えています。

今後も農業被害を防ぐために、奈良市山間部での鹿の捕獲・駆除は続けられることが予想されますが、捕獲頭数の増加とともに、批判の声が生じることも予想されます。

農業被害の歴史というものは、相当な昔にさかのぼるものであり、数億円かけて山間部全体に柵を設けてみても、被害が一向に減ることがないという現状があったため、ついに「捕獲=駆除」という選択に至った現在の状況です。

そのため、再び「完全保護」の時代に戻ることは考えにくいですし、そもそも天然記念物指定を受ける際に、国の側で「奈良市全域」が保護区域とされたものの、当初から奈良市などは奈良公園一帯のみを想定し、それ以外でのエリアでは捕獲可能な状況を想定していたという歴史もありますので、ようやく「正常化した」という考え方もできる状況です。

鹿と人間の共存をめぐっては、どちらも常に一定の犠牲を払いつつ、様々な試行錯誤が繰り返されています。

観光で「奈良の鹿」を楽しむ際にも、頭の片隅に少しだけ「鹿」と「人間」の関わりへの問題意識を持ってみてもよいかもしれません。