春日大社の例祭「春日祭」の日程・内容は?

このページでは、世界遺産である奈良・春日大社の1年で最も重要な祭事「春日祭」についてその日程・内容などをまとめていきます。

春日祭の日程

春日祭の日程は、

毎年3月13日

に行われます。明治以前には、年2回2月・11月の最初の申の日に実施されていましたが、現在は3月13日のみとなっています。

なお、春日大社関連の祭事では毎年12月に実施される若宮神社の例祭「春日若宮おん祭」が圧倒的な知名度となっており、春日大社本体の例祭である春日祭の知名度は低めとなっています。春日大社=12月のイメージに引きずられ、3月に例祭があることを知っている人はそれほど多くありません。

春日祭の由緒・歴史

由緒ある春日大社の例祭である「春日祭」。春日祭は「三勅祭」の一つとして、京都の葵祭(賀茂祭、賀茂別雷神社・賀茂御祖神社の例祭)、石清水祭(石清水八幡宮の例祭)とともに日本史上重要な役割を果たして来ました。

また、他方では春日大社はそもそも有名貴族「藤原氏」の氏神であったことから、藤原氏による藤原氏のための盛大な祭事という側面も長らく有していました。なお、現在では藤原氏の祭りという色彩はほぼ残されていませんが、「勅祭」という性質は変わりません。「勅祭」とは天皇陛下の勅使(使者)が神社に派遣された上で実施される祭事のことであり、春日祭も現在に至るまで宮中から勅使が派遣され、国家の安泰と国民の繁栄を祈る祭事として実施されています。

春日祭は、その歴史自体は奈良時代には遡りませんが、平安時代の嘉祥2年(849年)に開始されたと言われており、藤原氏による祭事として、勅使の他にも藤原一族の長である「藤氏長者」や使者らが参列したとされています。春日大社は、藤原氏の氏神ということで氏寺である興福寺とともに奈良のまちでは珍しく平安時代に勢力を拡大しますが、興福寺の関与も強まる形で春日祭もその権威を伝える機能も果たすことになります。例えば永祚元年(989年)には勅使ではなく一条天皇の行幸を実現するなど、藤原氏の権勢の強さを象徴する形で平安時代中頃には大いに規模を拡大することになりました。なおその後、中世以降は藤原氏も表舞台から退くことから祭事も次第に衰退し、廃絶することはありませんでしたが江戸時代にかけて規模は縮小し、現在では年1回「勅使」をお迎えする祭事としての性質のみ残す形で実施されています。

祭事の内容

春日祭は、一般には勅使が馬に乗って春日大社を訪れ、祭典が実施されるというイメージで知られており、実際にそれで間違いはないのですが、準備は3日前の3月10日より始まっています。

祭事の準備(前儀式)である3月10日の「辰の立榊式」は、まず春日山に生えている「榊の木」を採取して一の鳥居の左右に立てるというものであり、3月11日は「巳の祓式」において祭事に奉仕する神職らの清祓(きよはらい・お清め)が行われます。また3月12日には「未(ひつじ)の砂置式」において神前に新しい砂を撒き、春日祭当日に備えます。

◇3月12日春日祭当日の流れ

午前9時から、まず「御戸開(みとびらき)の神事」が行われます。ここでは古式に則った神饌(お供え物の食事)をお供えした上で、春日大社の神宝が神前に飾られます。

10時からは束帯をまとう勅使が参道を進み、まずは二の鳥居近くの祓戸神社で「祓戸の儀」、また次に二の鳥居をくぐった先、南門のそばにある着到殿で「着到の儀」を行います。その後は本殿近くの「直会殿・幣殿」で、御神饌と酒殿で醸造したお酒を供える「御棚奉奠(みたなほうてん)」・天皇陛下より奉納された御幣物を捧げる「御幣物奉納(ごへいもつほうのう)」の儀式、また勅使が祭文を読み上げる「御祭文奏上(ごさいもんそうじょう)」、また隣接する林檎の庭で実施される「神馬牽廻(みうまのけんかい)」・「和舞奉奏(やまとまいほうそう)」、このほか饗饌(きょうせん)・見参(げざん)・賜禄(ようろく)といった儀式が行われます。

なお、儀式は正午過ぎには終了します。

一般見学・拝観について

種々の儀式が厳粛に執り行われる「春日祭」。祭事を見学したい場合は、参道沿いで勅使の方などが行う行列、儀式はご覧いただけますが、回廊内「直会殿・幣殿・林檎の庭」で行われる春日祭のメインとも言える各儀式は一切ご覧いただけません。また、当然ながら当日は本殿一帯の一般拝観は祭事中不可能となっています。祭事の実施に伴い、通行の規制が行われ、見学者で混雑する可能性もありますので、もし参向の行列を見学する場合なども、時間には余裕を持って訪れることをおすすめします。

アクセス情報

春日大社へのアクセスについては、以下の記事をご参照ください。

【春日大社】原始林を含む広大な境内地を有する「世界遺産」は「藤原氏」ゆかりの神社