奈良の伝統工芸品にはどんなものがある?人形一刀彫・赤膚焼・墨などをわかりやすくご紹介

国際文化観光都市である古都「奈良」。奈良のまちでは、東大寺や春日大社などの名だたる観光名所に大勢の観光客が日々訪れる光景が見られますが、奈良のまちで長年培われてきた伝統工芸などの「匠の文化」、また様々な特産品については深い歴史と価値を持っているものの、必ずしも訪れる観光客の方が見て・触れる機会が多いとは言えません。

この記事では、そんな奈良の主な伝統工芸品(匠の技術)・特産品について種類ごとになるべくわかりやすくご紹介してまいります。なお、あくまでも概説であり、全ての詳細・工房ををご紹介出来ていない可能性があります。ご了承ください。

見学・体験について

奈良の伝統工芸品などに関する見学、製作体験についてはこちらのページをご参照ください。

【伝統工芸】奈良で楽しめる「体験型観光」一覧【伝統行事】

奈良漆器(螺鈿)

歴史・特徴

奈良漆器は、貝殻を加工したものを桧木地に貼りつけ、漆で埋めて研ぐという「螺鈿(らでん)」の技法が特徴の美しい漆器です。その歴史はルーツにまでさかのぼると定かではありませんが、正倉院宝物に見られるように螺鈿をはじめとする様々な技法が中国などから持ち込まれ、その技術を用いて美しい漆器が奈良時代から生み出されてきたことを考えると、奈良は日本の漆器のふるさとであり、奈良漆器の伝統は奈良時代から続くものとも考えられます。

現在の奈良で螺鈿の高い技術を持つ作家(塗師)としては、「北村昭斎」・「樽井禧酔」氏が知られており、北村氏は重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されています。

赤膚焼

歴史・特徴

赤膚焼とは、奈良市西部の五条山(赤膚山)エリア周辺で造られてきた「やきもの」です。歴史は、一般的には戦国時代(桃山時代)に江戸時代に大和郡山城主であった豊臣秀長が常滑(現在の愛知県)から陶工である与九郎を呼んで開窯させたことをルーツとするとされており、その後江戸時代以降はとりわけ大和郡山藩主柳沢保光によって重んじられ、江戸時代の有名な茶人・大名として知られる小堀政一によって好まれた「遠州七窯」の一つであったとも言われています。幕末にかけては中興の祖として名工「奥田木白」が「仁清写し」などの技術を高め、文政年間には「東の窯」・「中の窯」・「西の窯」と呼ばれる3つの窯があったとされています。その後は一時衰退し、現在江戸時代からの歴史を受け継いでいる窯は「古瀬堯三窯」のみとなっています。なお、赤膚の名の由来は地名にあるとも、また赤みがかった土に由来するとも言われていますが詳細は定かではありません。

赤膚焼の特徴は、その名の通り「赤み」を帯びた色彩を有している一方で、柔らかみのある乳白色の釉薬をかけており、表面には「奈良絵」と呼ばれる庶民的でかわいらしく、親しみやすい絵柄(御伽草紙などが題材)が描かれていることが一般的になっています。

窯元一覧

大塩昭山(奈良市) 大塩玉泉(奈良市) 大塩正人(奈良市) 古瀬堯三(奈良市)

小川二楽(大和郡山市) 尾西楽斎(大和郡山市)

奈良晒

歴史・特徴

奈良晒(ならざらし)は、かつての奈良で大量に生産されてきた高級な「麻織物」です。ルーツは鎌倉時代頃にさかのぼるとされ、当初は奈良の各寺院で僧侶が着用する「袈裟」へのニーズなどから生まれたともされています。「奈良晒」という名称が登場したのは戦国時代、徳川家康に仕えた清須美源四郎が生産方法を改良したころからであり、江戸時代になると徳川家の保護を受け、「南都改」と記された朱印が入っているもの以外の生産が禁じられるなど「お墨付き」を得る中で、奈良を代表する産業として栄えるようになっていきました。

江戸時代の中頃以降は衰退の道を歩むことになった奈良晒は、近代以降になると伝統を受け継ぐ空間も減少し、現在ではならまちエリアなどの市街地ではなく東部山間部の月ヶ瀬地区、田原地区などでその伝統の継承が図られています。

奈良晒は、麻を使って織り上げた「生平(きびら)」を天日でさらした「純白」の麻織物であり、緯糸に撚りをかけないで織るという特徴などがあります。奈良晒自体は必ずしも「染付け」などが前提となったものではなく、あくまでも純白の布地を生み出す工程となっていますが、近年は様々な染付けをしたり、絵柄を描いたりする形で雑貨・作品として市場に流通しており、中川政七商店などの商品はとりわけよく知られた存在となっています。

奈良晒の老舗

岡井麻布商店 中川政七商店

奈良人形(奈良一刀彫)

歴史・特徴

奈良人形(一刀彫)は、春日大社内「若宮神社」の祭事「春日若宮おん祭」において田楽法師の花笠を飾る高砂人形にそのルーツを持つとされており、その歴史は中世室町時代にさかのぼるとされています。当初は神事用の人形として用いられた人形の技術ですが、地域に根差した工芸品としては、安土桃山時代頃から次第に広がりを見せたとされ、江戸時代に入ると、西御門の「檜物師」であった平右衛門が「岡野松壽(おかのしょうじゅ)」を名乗ってその技を深め、岡野松壽はその後代々春日大社のお墨付きを得た「春日有職」として一刀彫を生み出していくことになりました。

また、幕末には「森川杜園(もりかわとえん)」が様々な古い意匠を研究し一刀彫・奈良人形の地位を一層高め、明治に入ってからの「シカゴ万国博覧会」でその作品が展示されるなど、一刀彫の文化は日本全国・国際的な広がりを見せることになりました。

奈良人形(一刀彫)の特徴は、「一刀」という名に現れているような豪快に彫り上げたような意匠、またなんといっても鮮やかな「極彩色」にあります。題材としては能楽・舞楽・狂言といったものや、奈良らしく「鹿」をモチーフにしたもの、また一般的な「ひな人形・五月人形」などに対応したものもありますが、いずれにしても色鮮やかな彩色が加えられ、見ているだけで楽しい気分になるような、スマートさ・華やかさ・かわいらしさを併せ持った存在になっています。

一刀彫の販売店舗・作家(順不同)

誠美堂 奈良人形一刀彫 瀬谷桃源 大林杜壽園 NARADOLL HIGASHIDA 一刀彫 前田浩幸 一刀彫 髙橋 勇二 今西杏林堂

一刀彫 浦弘園 奈良一刀彫 志清 奈良一刀彫 荒木義人

奈良筆

歴史・特徴

奈良筆は、奈良墨とともに奈良を代表する伝統工芸品の一つであり、奈良時代は中国からの輸入筆が使用されてきた中、平安時代初頭の806年(大同元年)に遣唐使であった弘法大師空海が帰国の際、中国から筆を造る技術を持ち帰り大和の「坂名井清川」という人物に授けたことがその発祥の由来(奈良筆の発祥=日本における筆製造の発祥)とされています。

筆はヤギやウマなどのみならず、リスやテンなども含め十種類を超えるような様々な動物の毛を原料に、質感の異なる毛を巧みに組み合わせながら筆を造る「練り混ぜ法」によって生み出されており、筆の完成までにはそのシンプルなイメージとは裏腹に複雑な工程が設けられています。

奈良筆の製造業者

奈良筆田中 あかしや 博文堂本舗

奈良墨

歴史・特徴

奈良筆とともに日本の書道界を支える伝統工芸である「奈良墨」。墨の需要が大幅に減る中で多数の墨司が廃業を余儀なくされる現状もありますが、日本における墨のシェアのほとんどを奈良市内で生産された墨が占めており、日本における墨=奈良墨と言ってよいほどの確固たるブランドを確立しています。

奈良墨の歴史はそのルーツまで遡ると中国から製墨技術が伝わった奈良時代以前に遡り、奈良時代やそれ以降も含め興福寺などのお寺では独自に「造墨手」と呼ばれる工匠を置くなど墨は重要な存在とされてきました。一方、かつての墨は松を原料とした「松煙墨」のみでしたが、室町時代頃からは色が濃く品質の高い「油煙墨」も製造され始め、以降は「南都油煙」として奈良墨は江戸時代にかけて確固たる地位を築き、一時は40件近くの墨屋があったとも言われました。また、限られた人々が使うものではなく広く「奈良の特産品」として庶民の文房具、みやげ物としても知られるようにもなりました。江戸時代後半以降は奈良墨産業は衰退傾向となり、その後近代、戦後にかけては一定の規模を維持しますが、平成に入って以降は墨そのものが用いられなくなってきたこともあり、廃業が目立つなど厳しい状況となっています。

なお、現在でも奈良墨は職人の手により膠(にかわ)を溶かし、墨を素手で「練り合わせ」、「型入れ(成型)」し、更に乾燥させてから仕上げを施すという一連の工程がほぼ手作業で行われており、複数の墨司でその工程を一般見学できるようにもなっています。

奈良墨の製造業者

古梅園 錦光園 喜壽園 墨運堂

奈良団扇

歴史・特徴

奈良団扇(うちわ)は、奈良時代に春日大社の神職らが軍扇の形に合わせる形で造り上げたというルーツを持つものであり、その後技術を磨きつつ江戸時代以降には奈良を代表する産物の一つとして数多く生産されるようになりました。奈良団扇はその堅牢かつ使い勝手のよい実用性のほか、奈良の風物にちなんだ意匠などが描かれる「透かし彫り」と呼ばれる技術が特徴となっており、重ねた分厚い和紙を小刀で彫るという「突き彫り」の職人技によって美しい透かし彫りのデザインが現在も生み出されています。

奈良団扇の製造業者

池田含香堂