【天乃石立神社】山の中腹にある複数の磐座をご神体とする神社

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「巨岩がご神体」の神社は原始的な神道文化を感じさせる

天乃石立神社(あまのいわたてじんじゃ)は、剣豪の里「柳生」エリアの中心部からは少し離れた山の中腹、ひっそりとした森の中にある小さな神社です。

この神社は、いわゆる「本殿」の建物が設けられているのではなく、小さな拝殿を持つほかは「磐座(いわくら)」と呼ばれる巨岩そのものが「ご神体」となっている神社であり、現在は4つの磐座がご神体となっています。なお、かつては「能舞台」の建物が別途存在しましたが、こちらは柳生八坂神社に移築された歴史も持っています。

磐座が信仰されるという原始的な神道の形態をとる神社は式内社にも指定されているなど非常に古い歴史を持つと考えられており、その創建期などは不詳であるものの、天岩戸が落ちて来たといった伝説が残されているほか、周辺一帯の奈良市内山間部では古代から巨石・巨岩信仰があったことから、その流れに連なる存在とも考えられます。

各磐座は、それぞれ「前立磐」と呼ばれる岩が豊磐牖命(とよいわまどのみこと)のご神体(天岩立神社)とされる岩となっており、ほぼ同じ位置に立つ「後立磐」は櫛磐牖命(くしいわまどのみこと)のご神体(天岩吸神社)とされています。また「前伏磐」と呼ばれる横向きの岩は天岩戸別命(あまのいわとわけのみこと)のご神体(天立神社)、そのそばにある「きんちゃく岩」は天照大姫命(あまてらすおおひめのみこと)のご神体(日向神社)とされており、いずれも「巨岩」と呼ぶにふさわしい迫力と原始的な信仰の姿を感じさせる存在となっています、

柳生一族との関わりも深い神社です

なお、「剣豪の里」の由来である柳生家との関わりとしては、柳生藩初代藩主柳生宗矩の父親にあたる柳生宗厳(やぎゅうむねよし)が当地で剣術の修行を行ったともされ、近くには刀で一刀両断されたような奇妙な巨石「一刀石」もあるほか、その後も石燈籠の寄進を受けるなど柳生家の深い崇敬を受ける存在であった歴史を持っています。

柳生エリアの中心部からは少し離れているため、徒歩でアクセスして頂く必要がありますが、柳生の里の深い歴史を感じさせる空間となっていますので、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

天乃石立神社のみどころ・風景

柳生の里からしばらく山道を進んだ先にある天乃石立神社。必ずしも豪快な渓流沿いという訳でもありませんが、参道沿いにはご神体に留まらず奇妙な巨石が多数見られるエリアとなっています。

参道をしばらく歩くと、ご神体である磐座が見えてきます。手前側にあるのが「後立磐」であり、こちらが櫛磐牖命(くしいわまどのみこと)のご神体(天岩吸神社)となっており、奥の大きな磐座が「前立磐」、豊磐牖命(とよいわまどのみこと)のご神体(天岩立神社)となっています。

右が後立磐・左が前立磐

奥には横たわった姿を見せる「前伏磐」があり、こちらは天岩戸別命(あまのいわとわけのみこと)のご神体(天立神社)、また丸まった形の「きんちゃく岩」は天照大姫命(あまてらすおおひめのみこと)のご神体(日向神社)となっています。

次項では、交通アクセスについてご案内致します。

アクセス(電車・バス)

奈良交通バス

・JR、近鉄奈良駅から「柳生」「邑地中村」「石打」行き乗車、「柳生」下車、南東に徒歩約20~30分

※車で訪れる場合は柳生観光駐車場をご利用ください(駐車場から神社まで西に徒歩約15~20分)

一刀石は南側(山道を奥に進む)すぐ

天乃石立神社周辺地図