【不退寺】在原業平が創建したと伝わるお寺は佐保路の隠れた「花の名所」

観光スポット・みどころ

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観光のご案内

「在原業平」に深いつながりを持つ「平安時代のお寺」です

不退寺(ふたいじ)は、奈良市北郊、「佐保・佐紀路」の古墳や古寺の多いエリアの一角に位置する小さなお寺です。

歴史としては、市内のお寺としては珍しく「平安時代」に創建、発展したお寺となっており、平安時代初期の天皇である「平城天皇」が退位後に奈良に都を戻そうと謀反を企て失敗した後、皇子である阿保親王や孫にあたり伊勢物語に描かれた人物としても名を残す在原業平らと隠居した「萱の御所」と呼ばれる空間を、承和14年(847年)業平が自ら聖観音像を造立し、父親である阿保親王の菩提をお祀りする空間としたことが創建の由来とされています。その由来もあり、不退寺は現在でも「業平寺」という別名で呼ばれるお寺にもなっています。

創建後は広い荘園を有するお寺として発展する不退寺は、その他の奈良の寺院と同様に平安末期の養和元年(1181年)に平重衡により行われた南都焼討により大きな被害を受けますが、こちらもその他多数のお寺と同様、鎌倉時代には西大寺を拠点とした叡尊上人により復興が図られます。中世には西大寺と興福寺一乗院の末寺として機能するようになった不退寺は、以降の歴史は不詳な点も多くなっていますが塔頭が廃絶するなど衰退も見られつつも境内の建築物などは一定程度残され続け、昭和以降は平城宮跡周辺の主要な観光スポットとしてよく知られた存在になっています。

なお、不退寺はその境内は小さなスケールながらも主に鎌倉時代に建てられた本堂・多宝塔・南大門などが残されており、全体の雰囲気はお寺というよりも平安時代の貴族の住まう空間であるかのような優雅な雰囲気を感じられるようになっており、奈良では少し珍しい空間になっています。

「花の寺」としても知られた存在です

上述したような深い「歴史」や建造物の有する魅力ももさることながら、不退寺は「レンギョウ」「黄菖蒲」、また「業平椿」と呼ばれるツバキなど500種類にのぼる多種多様な美しい花が咲き誇る「庭園」を有することでも知られており、「花の寺」としても知名度を有する存在になっています。とりわけレンギョウの美しさは傑出したものであり、本堂の上品な佇まいとレンギョウの鮮やかな黄色が織りなす風景は奈良を代表する「春の風景」の一つと言えるものとなっています。

主な仏像・文化財について

聖観音菩薩立像(重要文化財)

不退寺を代表する仏さまとして知られる「聖観音菩薩立像」は、像高は190センチほどで桂の木を彫りぬいて造り上げたものであり、平安時代初頭の不退寺創建時に在原業平自身が造像を行ったとされる伝説の残される仏像となっています。その佇まいは巨大な「リボン」のような飾りを付け、平安時代の「美しい女性」を象徴するような印象を見せる存在となっており、劣化も進んでいるものの、実になまめかしい雰囲気を漂わせています。

五大明王像(重要文化財)

五大明王像は、平安時代に弘法大師空海が中国から持ち込んだとも言われる密教独自の存在であり、中央=不動明王・東=降三世明王・南=軍荼利明王・西=大威徳明王・北=金剛夜叉明王という像の配置を有するものとなっています。不退寺の五大明王像は、一般的なものが強い怒りの表情を見せることが多い中、比較的穏やかな佇まい、むしろかわいらしさすら感じさせる表情を見せることで知られており、五大明王像としては奈良では唯一現存し、京都東寺の五大明王像とも肩を並べるような代表的な仏さまとして知られています。

その他

この他には、業平の父にあたり、不退寺創建の際に祀られた存在である阿保親王の像(鎌倉時代)江戸時代の在原業平朝臣画像、地蔵菩薩像、室町時代の伊勢物語の写本、八相涅槃図、興正菩薩像(絵画)なども不退寺の所蔵となっています。また春日曼荼羅の様式を有し、かつては業平の遺骨を納入していたとも言われる鎌倉時代の舎利厨子(重要文化財)は奈良国立博物館に寄託されています。なお、寺宝は春と秋に公開されており、それ以外の時期には見られないものもありますのでご注意ください。

不退寺のみどころ・風景

本堂

不退寺の本堂は、重要文化財に指定されている鎌倉時代後期の建築で、本尊聖観音菩薩を含め多数の仏像などをご覧いただけるようになっています。お堂は老朽化が進んでいるものの、朱色を基調とした美しい佇まいを残しており、どこか平安朝の優雅な雰囲気を感じさせるような空間にもなっています。

多宝塔

多宝塔は、鎌倉時代中期に建立された建物(重要文化財)であり、現在は初層部分のみが残されているため多宝塔というよりは蟇股などの装飾が美しい小さなお堂といった雰囲気になっていますが、内陣には真言八祖の絵が一面に描かれており、毎年5月28日の業平忌当日のみ特別に拝観して頂けるようにもなっています。

南大門

南大門は、鎌倉時代末の正和6年(1317年)に建立された建築(重要文化財)であり、お寺のスケールと比べると重厚・巨大な印象を感じさせる佇まいを見せる存在となっています。建物は装飾的にも優美な存在で、蟇股に似た「笈形」風の意匠が取り入れられています。

庭園

境内はとりわけ多宝塔周辺や本堂の正面付近のエリアが多種多様な花が咲き誇る「庭園」としても整備されており、春のレンギョウや黄菖蒲などを中心に、年間を通して美しい花の彩り、また鮮やかな新緑や紅葉などをお楽しみいただけるようになっています。とりわけ多宝塔と南大門の間にある小さな池と石橋のあるエリアは美しい風景を見せ、本堂正面などに次ぐ「写真撮影スポット」となっています。

立石(笠塔婆)

立石(不退寺)

本堂の近くには「立石」と呼ばれる鎌倉時代に造られた笠塔婆があります。この笠塔婆は元々は一条通りにあったものを不退寺境内に移転したものとなっており、四方に梵字が刻まれています。上段には宇宙を表現するとされる五大の真言、中段には金剛界四仏を表す種子、下段は北面には大随求小咒、南面には光明真言、東面に十三仏、西面には三帰依真言と大日真言が刻まれており、最下部には蓮台のモチーフが表現されています。

石棺

不退寺の「石棺」

庫裏のそばには古墳時代(5世紀)のものである「石棺」があり、かつて不退寺の西側にあった「平塚古墳(現存せず)」から幕末に出土したものとなっています。なお、石棺にある窪みはかつての農民が砥石代わりに使用した跡とも言われています。

歌碑・句碑

境内には在原業平の歌碑も設置されています。こちらは和歌「おほかたは月をもめでじこれぞこの つもれば人の老いとなるもの」が記された歌碑となっています。

この他には有名な和歌「ちはやぶる神代もきかず竜田川 からくれないに水くくるとは」が記された歌碑も設けられています。

境内東端の薄暗い空間には俳句「佐保山は 終の棲家よ つく法師」が記された句碑も設置されています。

庫裏

不退寺の庫裏

境内の西側は庫裏となっており寺務所を兼ねた空間となっています。建物は瑞景寺の庫裏として安政4年(1857年)に築造後、明治18年(1885年)に長州毛利家によって寄進されたものとなっています。

次項では、拝観に関する情報を解説していきます。

拝観情報

拝観時間:9時~17時

通常拝観料:大人500円・中高生300円・小学生200円
特別展期間の拝観料:大人600円・中高生400円・小学生300円
業平忌の拝観料:大人700円・中高生500円・小学生300円

次項では、交通アクセスについてご案内致します。

アクセス(電車・バス)

近鉄・JR線各駅からのアクセス

奈良交通バス

・JR奈良駅西口、近鉄奈良駅から「大和西大寺駅(12・14系統)」行き乗車、「一条高校前」下車、北に徒歩4分

・近鉄大和西大寺駅(北口)から「JR奈良駅西口」行き乗車、「不退寺口」下車、北に徒歩4分

※一条高校前バス停と不退寺口バス停は、進行方向によって名称が異なりますが、ほぼ同じような位置にあります。不退寺へはバス停付近から北に伸びる道を進み、途中でJR線の踏切を渡った先をさらに進むと南大門前(入り口)に到着します。

近鉄新大宮駅から北に徒歩14分

周辺のみどころ・観光スポット

狭岡神社から西に徒歩6分・ウワナベ古墳から南東に徒歩6分・大山守命墓から南西に徒歩11分・長慶寺から西に徒歩12分・コナベ古墳から南東に徒歩13分

不退寺周辺地図