【薬師寺大講堂】境内最大規模を誇る建築の内部には大きな弥勒三尊像が安置される

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金堂よりも大きな境内最大規模の真新しい建築

薬師寺「大講堂」は、奈良・薬師寺の金堂などがある「白鳳伽藍」の中心部といってもよい位置にある境内最大規模の建築であり、2003年に再建された比較的新しいお堂となっています。

そのスケールは、正面約41m・奥行約20m・高さは約17mというもので、奈良市内の仏堂建築の中でも有数の規模を誇るばかりか薬師寺の「金堂」よりも大きな存在となっており、「金堂」よりも「講堂」が大きいという古代伽藍らしい様式は、仏教研究(教学)を重んじるお寺としての歴史を反映したものとなっています。

かつては持統天皇が夫である天武天皇を弔うために造り上げた阿弥陀浄土を写した「大繍仏像」が祀られていたとも言われる大講堂は、平安時代には奈良で行われた大規模な法会「南京三会」の一つである最勝会が行われる舞台としても機能し「最勝会」は勅使をお迎えして盛大に実施されたともされていますが、その後講堂は失われることになり、21世紀になって現代の建築技術の下で再建されたものが現在の大講堂となっています。

複雑な系譜を持つ「弥勒三尊像」など白鳳~天平時代の貴重な文化財が拝観可能

大講堂の内部には、弥勒三尊像・仏足石・仏足石歌碑という白鳳時代~奈良時代にかけての貴重な文化財をご覧いただけるほか、再建にあたって奉納されることになった釈迦十大弟子像が安置されています。

弥勒三尊像

現在は「弥勒三尊像」として中央にお祀りされている仏さまは、中尊が像高2メートル50センチを超える巨大な弥勒如来像、右脇侍(向かって左側)は大妙相菩薩、左脇侍(向かって右側)は法苑林菩薩となっており、白鳳時代(飛鳥時代)から天平時代(奈良時代)にかけて造立されたものであると推定されています。弥勒如来様はややずんぐりとした雰囲気、また両脇侍は動きのある雰囲気が特徴的な仏さまとなっていますが、これらはかつては西院弥勒堂の本尊であった時代には同じく「弥勒三尊」と呼ばれていたものの、江戸時代には「阿弥陀三尊」と呼ばれたり、明治以降は「薬師三尊」と呼ばれることになったというやや複雑な系譜を持つものであり、実際の所その歴史的由来も含めて不確かな点が多い不思議な仏さまにもなっています。

仏足石・仏足石歌碑

大講堂の内部には、仏像が生み出される前の仏教文化に由来する「仏足石」と呼ばれる仏さまの足跡を刻んだ石も安置されており、こちらは奈良時代の天平勝宝5年(753年)にインドの仏足石をモデルに天武天皇の孫である文屋智努(智努王)によって造られた現存する日本最古の仏足石となっています。

また、仏足を礼賛したり、生死に関わる歌が刻まれた「仏足跡歌碑」も安置されており、この仏足石との関係性は定かではないものの、「五七五七七七」の38文字と言う特殊なリズムの「仏足跡歌体」で詠われた21首の歌が刻まれています。

釈迦十大弟子像

文化財指定されているものではありませんが、大講堂内部には、2003年の再建にあたり彫刻家中村晋也氏の彫像により奉納された「釈迦十大弟子」の像も設置されており、お釈迦様の優秀な弟子として苦しい修行を行ってきたその姿が現されています。

薬師寺「大講堂」の風景

境内最大級の建築である薬師寺「大講堂」

金堂近くから眺める「大講堂」の建物。奈良市内の仏堂建築としては大仏殿・二月堂などに次ぐ規模と言ってもよい壮大なスケールの建築は、奈良時代の仏教研究の拠点らしい実用性も感じさせるすっきりとした建物にもなっています。

大講堂と桜の木

春になると、薬師寺西塔の近くには美しい桜が咲き誇り、「大講堂と桜」という趣ある風景を味わって頂くことも出来ます。

大講堂は、原則として通年拝観可能です(境内の拝観料・拝観時間の設定あり)。

アクセス(電車・バス)

交通アクセス

近鉄西ノ京駅からから南西に徒歩3分

奈良交通バス「薬師寺」バス停から南西に徒歩3分

※北側拝観受付まで

周辺のみどころ・観光スポット

薬師寺北側拝観受付から南西に徒歩2分・金堂から北にすぐ・西塔から北東にすぐ・東塔から北西にすぐ・玄奘三蔵院伽藍から南に徒歩3分

薬師寺大講堂周辺地図