興福寺仮講堂

【興福寺仮講堂】奈良時代の梵鐘など複数の文化財が収蔵される空間

ごあんない

薬師寺の旧金堂を移築したかつての「仮金堂」

興福寺「仮講堂」は、興福寺境内の北側、平成30年落慶の「中金堂」の裏手に位置するお堂です。

興福寺境内の建物としては、「大湯屋」などと同じく知名度の低いやや地味な存在となっているお堂は、元々の歴史は江戸時代の享保2年(1717年)にかつての中金堂が焼失し、約1世紀経った後の文政2年(1819年)に奈良町の住民や商人らの寄進によって「仮堂」として中金堂よりも縮小されたお堂が建立されたことにルーツを持つものとなっています。

その江戸時代の「仮堂」は近代になると老朽化が進み、昭和50年(1975年)に現在の場所(講堂跡)に新たに建てられたのが現在の仮講堂であり、中金堂の再建が進むまでは、こちらが「仮金堂」と呼ばれていました。なお、仮講堂の建物は昭和期に建てられたものの、部材なども含め薬師寺の旧金堂(室町時代)を移築するような形で造られたものとなっており、思いのほか歴史の深い存在となっています。

文化財-奈良時代の梵鐘などが収蔵されています

銅造梵鐘(国宝)

銅造梵鐘は、神亀4年(727年)の年号が刻まれた立派な奈良時代の「釣り鐘」であり、撞座と呼ばれる鐘をつく(撞木を当てる)場所が高い位置にあるなど奈良時代らしい特徴を備えたものとなっています。なお、この鐘はかつては興福寺子院であった観禅院にあったものとなっています。

木造阿弥陀如来坐像(重文)

鎌倉時代初頭の作である阿弥陀如来坐像は像高は2メートルを超える重厚な佇まいが特徴となっており、かつては興福寺の子院として存在した観禅院大御堂のご本尊であったと伝わる仏さまとなっています。

木造薬師如来坐像(重文)

平安時代の中頃である長和2年(1013年)頃に造立されたと考えられる薬師如来坐像は、両肩付近を除き1本の桜の木で造られ、引き締まったお姿からは穏やかさというよりは全体として力強さ、たくましさを感じることは出来る仏さまとなっています。

木造地蔵菩薩立像(重文)

平安時代初頭(10世紀)頃の造立と考えられる地蔵菩薩立像は、目が低い位置にあり、胴体が太めの少し珍しい佇まいが特徴となっており、老成した「童子」とも言えそうな雰囲気を漂わせる仏さまとなっています。

木造梵天立像(重文)

現在は根津美術館の所蔵となっている帝釈天像と一対で造立されたと考えられる梵天立像は、鎌倉時代初頭の建仁2年(1202年)に仏師定慶により造られたものであり、仏さまというよりはかつての身分の高い人々の服装を身に着けた「人間」として描かれた存在になっています。

今後は「講堂」としての再整備が期待されます

仮講堂の建物については、今後「中金堂」の復元整備が完了した後には、次の伽藍整備の一環として、「仮」ではない講堂として整備が図られる可能性もあり、今後の「興福寺」の新しい見どころとして注目されることが想定されています。

なお、国宝館の閉鎖時に特別公開が行われた事例があるものの、現在は基本的に拝観も含め、近くに立ち入ることも出来ないようになっており、今後の公開予定も含めて未定となっています。外観は奈良県庁・奈良公園と興福寺境内を結ぶ北参道(歩道)沿いから眺めて頂く形か、中金堂周辺から眺めて頂く形となっています。

興福寺仮講堂

アクセス

※仮講堂はお堂の正面など近くまでアクセスすることは基本的にできず、興福寺境内と奈良公園を結ぶ興福寺北参道などから外観をご覧いただく形となっています。

最寄駅からのアクセス

※仮講堂最寄りの部分である奈良県庁前(奈良公園)と興福寺境内を結ぶ参道沿いまで

近鉄奈良駅から東に徒歩8分

JR奈良駅から東に徒歩17分

奈良交通バス

・JR奈良駅から「市内循環外回り」・「山村町」・「藤原台」・「鹿野園町」・「春日大社本殿」・「天理駅」・「下山」・「窪之庄」・「県庁前」行き乗車、「県庁前」下車、南に徒歩2分

興福寺仮講堂周辺地図