【元興寺総合収蔵庫(法輪館)】国宝「五重小塔」をはじめ多数の文化財(仏像)が一堂に会する空間

ごあんない

元興寺「総合収蔵庫」は、世界遺産「元興寺」が有する国宝をはじめとする各種文化財の多くが展示されている、境内にある「博物館」のような空間です。

本堂など境内のお堂に安置されている仏像、拝観できる仏像があまりない元興寺は、代わりにこの収蔵庫においてほとんどの文化財を拝観して頂けるようになっており、別途料金をお支払い頂くことなく、本堂をはじめとする境内の拝観料で収蔵庫内部も拝観して頂けるようになっています。

内部には国宝の「五重小塔」をはじめ、主に奈良町の住民による信仰を集めた鎌倉時代から江戸時代にかけての仏像などが安置されており、奈良時代の「大寺院」としての歴史のみならず、それ以降の地域の歴史とともに歩んできたお寺の歴史に思いをはせることが出来る空間となっています。

収蔵されている仏像・文化財について

五重小塔(国宝)

元興寺で最も有名な文化財として挙げられる奈良時代作の「国宝五重小塔」。この文化財は、元興寺境内にかつて存在した巨大な五重塔とは別に、その名の通り小さな「五重塔」を精巧に表現したものであり、内部構造に至るまで精密に造られたその姿は「建造物」として国宝に指定される存在となっており、「建築」として考えれば奈良時代に建てられた五重塔の中で唯一現存する存在になっています。

高さは5.5メートルと収蔵庫内部ではかなり大きな存在に見えるものであり、金色の相輪、また薬師寺の東塔のような美しい彩色などは室内で保護されてきたおかげで保存状態が極めてよいことも特徴となっており、ミニチュアとしての省略が行われていないその「建物」は市内では「海龍王寺」の五重小塔と並んで有名な存在になっています。

智光曼荼羅(重文)

智光曼荼羅(ちこうまんだら)は、奈良時代の元興寺におられた「智光」と呼ばれる僧侶が夢を見る中で感得された「極楽浄土」の風景を描いた図像です。この智光曼荼羅は、「当麻曼荼羅」・「清海曼荼羅」と並び「浄土三曼荼羅」と称される有名な存在であり、奈良時代にその「原本」として生み出されたものは、火災により失われてしまったとされていますが、現在は平安時代の終わりもしくは鎌倉時代などに描かれたとされる「板絵智光曼荼羅」、また室町時代の作である「厨子入智光曼荼羅」「軸装智光曼荼羅」が残されています。

これらは通常時には公開されていませんが、特別公開が行われる際にこの収蔵庫、また一部は本堂(極楽堂)に安置され、拝観して頂けるようになっています。

木造阿弥陀如来像(重文)

阿弥陀如来像は、平安時代に造立されたとされ、元興寺と興福寺の子院「禅定院」の多宝塔本尊を現在の本堂(極楽堂)に移してきた存在とも言われる仏さまです。金箔の部分も多く残された仏像は1本のケヤキの木を彫り上げて造られつつ、一部では朔土(粘土)を使用して造られており、全体的に穏やかかつ明るい雰囲気がにじみ出るような存在になっています。なお、像の内部からは仏舎利を模した金属粒をはじめ多数の納入品が見つかっています。

木造聖徳太子立像(重文)

聖徳太子立像は、鎌倉時代の文永5年(1268年)に仏師善春らにより造られた青年期の聖徳太子(16歳ごろ)の姿を表現した像であり、髪を結い柄香炉を持ったお姿は透き通った美しさを感じさせるものとなっています。

「聖徳太子」と「元興寺」を巡っては、元興寺の前身寺院にあたる「飛鳥寺(法興寺)」が聖徳太子による創建伝説を有している事情から、かつては聖徳太子信仰も盛んであったお寺であり、この像はそのような当時の聖徳太子信仰を象徴する存在となっています。なお、阿弥陀如来像と同じく、こちらも像内から多数の納入品が発見されています。

木造弘法大師坐像(重文)

弘法大師坐像は、鎌倉時代に造立された弘法大師「空海」のお姿を表した坐像です。聖徳太子信仰のみならず、元興寺は真言宗との関係が良好で弘法大師空海とも一定の歴史的つながりを有していたこともあり、「大師信仰」も盛んであったと言われており、この像もその一環で生み出されたと考えられています。

南無仏太子像(県指定文化財)

鎌倉時代に造立された「南無仏太子像」は、聖徳太子が「2歳」であった時のお姿を表現したユニークな像です。

聖徳太子は2歳の時には既に「南無仏」と唱え、7歳になるまでそれを唱え続けたという「仏教者」らしい伝説を有する存在となっていますが、この像はどこかやんちゃであどけない「ふつうの2歳児」らしい表情と合掌して仏道に励む神聖な「仏教者」としての表情が両立した稀有な存在となっています。

その他の文化財・仏像

このほかには、平安~鎌倉時代のものとしては小さな木造の仏さまである「興福寺千体仏」のうちの一体であると考えられる平安時代後期造立の聖観音菩薩立像、鎌倉時代の毘沙門天・不動明王立像、鎌倉時代の快慶一門による作の穏やかな表情の薬師如来坐像、素朴ながらも艶やかな表情が特徴の鎌倉時代の如意輪観音像も安置されています。

また室町・安土桃山時代のものとしては、宿院仏師の作と推定され、「閻魔さま」の従者である「司録」の姿を表現した少しコミカルな司録坐像(室町時代)、こちらも宿院仏師の「定正」による作であり、お地蔵さまにありがちな錫杖・宝珠のセットを持たない姿が特徴的な地蔵菩薩立像(室町時代末)、あまり恐怖を感じさせない落ち着いた表情が特徴的な閻魔王坐像(桃山時代)、死者を裁く十王の一人である泰山王を描いた泰山府君坐像も安置されています。

江戸時代のものとしては、宝山寺中興の祖である湛海律師の作風を反映したものであり、現在でも火炎の彩色がよく残された状態である不動明王坐像、聖徳太子像に似た佇まいを見せる「神仏習合」の守護神である雨宝童子像、実に温和な表情を見せる弁才天坐像、薬師寺の国宝像を忠実に模倣して造立された僧形八幡神坐像が安置されています。

なお、元興寺は中世や江戸時代には奈良町住民などの「庶民信仰」の拠点として栄えた歴史を持っており、その庶民の信仰に関する65395点にのぼる膨大な資料もあり、そのうちの一部も収蔵庫内部に展示されています。

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アクセス

元興寺本堂(極楽堂)は北に隣接・浮田図は北西に隣接

近鉄奈良駅から南東に徒歩15分

JR奈良駅から東に徒歩20分

奈良交通バス

・JR奈良駅、近鉄奈良駅から「天理駅」・「下山」・「窪ノ庄」行き乗車、「福智院町(元興寺東口)」下車、西に徒歩5分

※元興寺境内まで

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