【隆光大僧正の墓石・越昇寺跡】江戸時代に奈良の寺社復興に尽力した僧侶が眠る

概要

隆光大僧正(りゅうこうだいそうじょう)の墓石は、平城宮跡の北側すぐ、佐紀盾列古墳群周辺にも近い場所にある墓石です。墓石は「佐紀保育園」の敷地を回り込むように伸びる参道を通って行った先にあり、ほとんど気づかれないような空間となっており、観光客の姿を見ることはあまりありません。

隆光大僧正という僧侶は、江戸時代中期に将軍「徳川家光」のもとで活躍し、家光やその母である桂昌院の庇護の下、江戸の地で護持院というお寺を開いた人物となっており、一般には「生類憐みの令」を進言した「悪い人」というような扱いを受けることもありますが、幕府の財力を活用して東大寺大仏殿をはじめとする奈良の寺社の復興、建設事業に尽力した存在でもあります。家光亡き後は失脚し江戸から河内・奈良へと戻ったと言われる隆光大僧正の墓所は、この佐紀の地のほか、大阪府太子町にも墓所があります。

ちなみに、この地に墓所が設けられている由来としては、隆光大僧正がこの近辺で生まれたと言われているほか、この地にかつては「超昇寺」と呼ばれるお寺が存在したことに由来します。超昇寺は、平安遷都後も奈良に留まった平城天皇(上皇)の皇子である高丘親王(真如法親王)が、平安時代初頭の835年(承和2年)に光仁天皇の離宮として使用されていた楊梅(やまもも)宮跡にお寺を創建したという歴史を持っており、その後中世には荒廃しつつも、失脚後の隆光大僧正が1709年(宝永6年)から里帰りをするように隠棲するようになったと言われており、その縁で墓所が設けられています。

隆光大僧正の墓石周辺の風景

隆光大僧正の墓石

アクセス

近鉄大和西大寺駅から東に徒歩15分

JR奈良駅西口・近鉄奈良駅から奈良交通バス「大和西大寺駅」行き乗車、「佐紀町・大極殿」下車、北西に徒歩4分

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