【榎本神社】「春日大社」創建前の神様とも言われる由緒ある摂社

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春日大社創建前からの土地の神様をお祀りする?

榎本神社(えのもとじんじゃ)は、春日大社の中心部といってもよい本殿を取り囲む「回廊」上、「南門」などにほぼ隣接する位置にひっそりと設けられた春日大社の境内摂社です。

式内社として記録されているなど、歴史と格式を有する神社として知られる榎本神社は、祭神としては現在は猿田彦大神をお祀りしていますが、かつては巨勢姫明神という女神をお祀りしていたとも言われます。

ご利益としては「寿命を守り給う神様」として健康長寿を願う方が参拝することで知られ、宮中より祈祷が申し込まれることもあったとされています。

また、この神社は、「春日大社」が出来る前からこの地を支配していたとされる「春日氏」がお祀りしていた神様であるという言い伝えも残されています。

その中では、春日大社の現在の御祭神である武甕槌命(タケミカヅチノミコト)が、この地に来て榎本神社の神様に「この土地を『地下』三尺までお譲りしてもらえないか」と言う風にお願いをしたところ、耳の遠い榎本の神様は「面積」のことと勘違いし快諾してしまい、結果この土地全体が春日大社になってしまった(杉の木などは地下三尺より下には根を持たないとも言われています)という土地をめぐる奇妙なお話も残されています。

すなわち、この神話に従えば、榎本神社は、土地を事実上全て手に入れてしまった春日大社の武甕槌命から、かつての「地権者」としてわずかに土地を分け与えてもらって回廊の端に鎮座しているということなのです。それ故、明治時代頃までは、耳の遠い神様の為に、榎本神社への参拝者は大きな音を立ててお参りする習慣が根付いていたとも言われています。

「神話」にはいくつかのバージョンがあります

なお、この神話をめぐっては、武甕槌命がかつていらっしゃった藤原京東方の阿倍山と呼ばれる場所に榎本の神様が移り住むことを希望し、武甕槌命が春日の地に、榎本の神様が阿倍山に鎮座することになったところ、平城京への遷都が行われ、参拝者の減少に困窮した榎本神社の神が再び春日大社の境内に戻ることを願い、認められて小さな空間を手に入れたというお話や、春日大社の案内板によれば、春日大社鎮座後に現在の桜井市内の阿倍山に移転し、平安時代の承平5年(935年)に再びこの地に戻ったという様々な神話もあるようです。

小ぶりな神社ながら、社殿や彩色彫刻などがとても美しい!

榎本神社自体は大変小さなものですが、鳥居の内側には回廊内部の薄暗い空間に、春日造の立派な社殿が設けられており、周辺には美しい彩色が施された彫刻や絵画もあるなど、大変美しい神社となっています。春日大社創建前の歴史を物語る存在と言われているとは言え、現在は観光客がほぼ全員素通りしてしまう神社となっていますが、参道のすぐそば、また回廊沿いにありますので、春日大社を訪れた際は、ぜひお立ち寄りになってみてはいかがでしょうか。

次項では、周辺神社などについてご案内致します。

周辺神社・施設

春日大社本殿:北東にすぐ

砂ずりの藤:北にすぐ

南門:東にすぐ

着到殿:南にすぐ

竈殿・酒殿:北にすぐ

桂昌殿:北に徒歩2分

次項では、交通アクセスについてご案内致します。

アクセス(電車・バス)

奈良交通バス「春日大社本殿」バス停・ぐるっとバス「春日大社本殿」バス停から東に徒歩4分

榎本神社(春日大社)周辺地図