【南都鏡神社】怨霊伝説に由来する神社の本殿は「春日移し」

南都鏡神社 観光スポット・みどころ

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観光のご案内

新薬師寺の山門の真横に鳥居を持つ堂々たる神社

南都鏡神社(かがみじんじゃ)は、志賀直哉旧居やかつての春日大社の神職らが数多く住んだ社家町である「高畑」界隈、ならまちエリアから続く歴史的な町並みの東端部に位置する神社です。

神社は十二神将像で大変有名な「新薬師寺」と隣接する位置に建っており、新薬師寺の山門と神社の鳥居はほぼ同じような場所に建っているため、「山門」と「鳥居」を一枚の写真におさめられるユニークな神社にもなっています。

新薬師寺の「鎮守社」は「怨霊伝説」由来

神社の歴史は比較的古く、平安時代に入って間もない時期の大同6年(806年)に隣接する新薬師寺の鎮守社として創建されたことに始まります。

なお、創建にあたっては、現在の佐賀県唐津市にある「鏡神社」から奈良時代に謀反を起こしたとして処刑された藤原広嗣御祭神として勧請を受けたものとされており、この神社は藤原広嗣の怨霊・御霊を鎮める神社としての役割を果たしてきました。

藤原広嗣とはどんな人物か?

さて、その「怨霊伝説」の由来となった藤原広嗣という人物ですが、彼は藤原不比等の三男である藤原宇合の息子として生まれた人物となっています。

広嗣は天平9年(737年)に天然痘の流行により「藤原四兄弟」として名をはせた宇合ら有力貴族が全員死亡する中で生き残り、その後反藤原氏勢力の台頭により左遷される中、天平12年(740年)には災厄の原因を玄昉や吉備真備といった反藤原氏勢力によるものとして上奏文を朝廷に送付します。

しかしこれは玄昉らを重用した当時の右大臣橘諸兄に対する反逆と捉えられ、聖武天皇から召喚の詔が発せられるもそれを黙殺し、むしろ大宰府で弟の藤原綱手や隼人らと挙兵し反乱を企てほどなく鎮圧され、佐賀の地で処刑され、亡くなったとされています。

すなわち広嗣の存在は、奈良時代などにこの他にも多数見られるような、謀反を起こそうとして鎮圧、流刑、処刑され、その後様々な災厄が発生した際にその「怨霊」であると恐れられたようなケースと同様の系譜を持つ人物となっており、とりわけ広嗣と対立する存在として取り上げられる興福寺の「玄昉」はその死に際し遺体が奈良市内各地に飛散したという奇妙な伝説が残されているなど、典型的な「怨霊伝説」を生み出した存在となっているのです。

本殿は美しい「春日移し」

広嗣由来の伝説のみならず、この神社の歴史の深さを感じさせるもう一つのポイントとしては、本殿がかつての春日大社本殿を移築した「春日移し」の建築であることが挙げられます。

現在も美しい姿を留める本殿は、江戸時代中期にあたる延享3年(1746年)春日大社の第47次式年造替に合わせ春日大社本殿のうち「第三殿」にあたる部分をこちらに移築したものとなっており、御霊神社や崇道天皇社、嶋田神社など奈良市内各地の「春日移し」の神社と同様深い歴史を伝える存在になっています。

現在まで残された本殿の建物は修理が複数回行われてはいるものの、概ね部材等もよく残された状態であり、比較的近い位置からその様子を見て頂くことも出来ます。

離れた所に「別社」もあります

なお、境内社としては本殿の近くに火雷天神をお祀りする「天神社」や「祖霊社」が設けられているほか、北西側に徒歩5分以上離れた場所には別社としてかつては巨大な境内地を有した「赤穂神社」が現在もひっそりと佇んでいます。

また、境内を出た鳥居の東側には、比賣塚と呼ばれる小さな古墳の上に建つ神社であり、十市皇女を主祭神に、また市寸嶋比売を脇座としてお祀りする「比賣神社」も別途設けられています。

鏡神社自体は、決して奈良市内で知名度が高い神社とは言えませんが、その独特の歴史や周辺の神社も含め、みどころが大変多い神社となっていますので、新薬師寺を拝観の際は、鏡神社のほうも忘れずにお参りするようにしてみてはいかがでしょうか。

南都鏡神社のみどころ・風景

鳥居周辺

南都鏡神社の鳥居

新薬師寺の真横に立派な境内地を広げる鏡神社。新薬師寺に訪れる観光客は多いですが、その中でこの鏡神社にもお参りする方は少数で、基本的にはいつでも静寂が広がる空間となっています。

新薬師寺と鏡神社

新薬師寺の山門鏡神社の鳥居は本当に近い場所に並んで建っており、実にユニークな風景を生み出しています。

南都鏡神社の拝殿

立派な拝殿は、ならまちエリアの「御霊神社」やきたまちエリアの「祇園社八坂神社」を思い起こさせるような造りとなっており、比較的大規模なものとなっています。

鳥居のみならず、南側には「神門」もあります。

本殿・境内社など

南都鏡神社の本殿

春日大社の第47次式年造替に際して春日大社本殿(第三殿)を移築した本殿は、現在もその美麗な姿をしっかりと留めています。

また、本殿が見えにくい神社も多い中で、鏡神社の本殿は比較的近くからしっかりとその姿をご覧いただけるようになっています。

南都鏡神社の狛犬
祖霊社(南都鏡神社)
鏡神社本殿の案内板
藤原広嗣の歌碑

摂社比賣神社

比賣神社(奈良・高畑)

鏡神社の東側すぐの位置には、不思議な「神像石」と呼ばれる巨石のある「比賣神社(ひめじんじゃ)」があります。

こちらは「比賣塚」と呼ばれる小さな古墳の上に昭和になって築かれた神社となっており、別社赤穂神社の由緒にも伝わる「十市皇女・氷上娘」を埋葬した「赤穂」の地に該当するとも言われています。比賣神社の詳細については以下の記事で詳しく解説しています。

別社赤穂神社・末社天満神社

赤穂神社(奈良市)

鏡神社の境内から北西に徒歩5分少々離れた場所には「別社」とされている「赤穂神社」があります。

かつては巨大な神社と言われる赤穂神社の現在の境内は小さなものですが、赤穂神社本体と付属する形で鏡神社末社の「天満神社」も設置されています。

次項では、交通アクセスについてご案内致します。

アクセス(電車・バス)

近鉄・JR線各駅からのアクセス

奈良交通バス

・JR、近鉄奈良駅から「市内循環外回り」・「中循環外回り(近鉄奈良駅からのみ)」・「山村町」・「藤原台」・「鹿野園町」・「奈良佐保短期大学」行き乗車、「破石町」バス停下車、南東に徒歩10分

周辺のみどころ・観光スポット

新薬師寺は北側に隣接、入江泰吉記念奈良市写真美術館は北東側に隣接、赤穂神社から南東に徒歩7分、志賀直哉旧居から南東に徒歩8分、宅春日神社から北に徒歩8分

南都鏡神社周辺地図