小治田安萬侶の墓

【小治田安萬侶の墓】奈良時代としては珍しい「火葬墓」は都祁の里に

概要

小治田安萬侶の墓(おはりだのやすまろのはか)は、奈良市内の南東部、奈良の奥座敷とも言える大和高原に広がる「都祁」エリアの農村風景の一角に佇む小さなお墓です。

この墓所は「小治田安萬侶」と呼ばれる奈良時代の官僚(役人)のお墓であり、いわゆる天皇陵や豪族(古代の「都祁王国」)関連の古墳ではありません。小治田安萬は、平城京に遷都する前の藤原京時代の文武天皇から、元明、元正、聖武天皇まで4代の天皇に渡ってお仕えした官僚であり、聖徳太子らの政治の舞台としても用いられたその名と同じ「小治田宮」と呼ばれる宮殿が現在の明日香村に存在したともされています。

このお墓は、明治45年(1912年)に農地の開墾を行っている際に木櫃・墓標が見つかったことで初めて発見されたものであり、その後戦後に発掘調査が行われるなどして、三彩の壷・銀製の和同開珎・須恵器・土師器などが発掘されたほか、当時としてはかなり珍しい「火葬」によるお墓であることも確認されました。

なお、墓標には「右京三条二坊従四位下小治田朝臣安萬侶大倭国山辺郡都家郷郡里崗安墓 神亀六年歳次己巳二月九日」としてお墓の概要と日付が記されているなど、お墓の建立の詳細が明らかであり、かつ副葬品などが数多く出土している点は、同じく大和高原エリア(奈良市田原地区)にある有名な「太安万侶墓」との共通性も感じられ、それぞれの墓所は当時の状況を知る上でその保存状態も含め、大変歴史的価値が高いものとなっています。なお、墓標の記述には、小治田安萬侶は現在の奈良市街地の「西大寺・尼ヶ辻」エリア周辺に住んでいたことが記されており、必ずしもこのお墓の近くに住んでいたという訳ではないことが伺えます。

小治田安萬侶墓の石標

小治田安萬侶墓本体

小治田安萬侶墓の案内板

アクセス

奈良交通バス

・近鉄榛原駅(北口)から「針インター」行き乗車、「来迎寺」バス停下車、北東に徒歩4分

※駐車場はありません

 

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