春日大社東西塔跡(五重塔)

【春日大社東西塔跡】現在の奈良公園内にかつて存在した「神社の五重塔」

ごあんない

観光客が大勢行き交うエリアにある、誰も気づかない「遺跡」

春日大社東西塔跡は、奈良公園内、奈良国立博物館の美しい近代建築が目を引く「旧館(なら仏像館)」の周辺にある遺跡です。

この遺跡は、かつてこの地に存在した東西2つの「春日大社五重塔」の跡地であり、現在は特に西塔跡を中心に塔周辺の「回廊」や「門」のものも含め、多数の礎石が残されています。

春日大社に五重塔が存在したということは余り一般的には知られておらず、現在の奈良の風景と照らし合わせるとやや不思議な感覚に捉われるものですが、かつて存在した東西の五重塔の規模は、いずれも現在の興福寺五重塔に匹敵する規模、高さは50メートルほどであったと言われ、かなり立派なものであったことが伺えます。

中世の奈良を彩る存在であった春日大社の「五重塔」

五重塔の歴史は、奈良時代には遡らず、神仏習合思想が体現された奈良では比較的新しいものであり、西塔のほうは平安時代後期である永久4年(1116年)藤原家の関白、藤原忠実(ふじわらのただざね)が建立したものとされており、「殿下の御塔」と呼ばれました。また東塔は西塔に遅れること約20年、平安後期の保延6年(1140年)鳥羽上皇(とばじょうこう)により建立されたものであり、東塔のほうは「院の御塔」と呼ばれることになりました。

これらはいずれも治承4年(1180年)の有名な「南都焼討」によって建立からわずか50年程度で焼け落ちてしまう悲劇に見舞われますが、鎌倉時代に入り建保5年(1217年)に東塔は再興され、西塔も東塔の30年後の寶治年間(1247年~1249年)には再建されたとされています。更にその後は、室町時代の応永18年(1411年)に、落雷に伴う火災が発生し、東西両塔は再び焼失することになりました。これ以降は一切再建は行われておらず、春日大社の五重塔は、中世の300年ほどの期間のみ存在した幻の塔となっているのです。

現在は礎石をひっそりと残すのみとなっているため、塔跡の姿に気づく観光客すらほとんどいないような状況となっていますが、かつての巨大な塔の面影を、現在は鹿たちの楽園ともなっている礎石群を眺めながら感じてみてはいかがでしょうか。

春日大社東西塔跡の風景

春日大社西塔跡(礎石)

多くの礎石が残っている「西塔」跡五重塔は塔のみならず、回廊や楼門などを備えた立派なものであり、敷地は100メートル四方に及んだとも言われています。

春日大社東塔跡

「東塔」跡は、広々とした空間に残っている礎石はやや少なく見えますが、「西塔」と同様の規模をかつては有していたと考えられています。

鹿たちの憩いの場となる春日大社西塔跡の礎石群

西塔の礎石の周辺は木陰になっており、時折鹿たちがくつろいでいる姿を見かけることも多くなっています。なお、四方に柵が張り巡らされているため、人は礎石付近に立ち入ることは出来ず、近くから眺める形となっています。

アクセス

各駅からのアクセス

奈良交通バス

・JR、近鉄奈良駅から「市内循環外回り」・「中循環外回り(近鉄奈良駅からのみ)」・「高畑町」・「春日大社本殿」行き乗車、「氷室神社・国立博物館」下車、東塔跡まで南西に徒歩2分、西塔跡まで南西に徒歩3分

近隣スポット

周辺は奈良公園エリア、塔跡は奈良国立博物館(旧館・なら仏像館)に隣接、氷室神社から南西に徒歩2分(東塔跡まで)、興福寺五重塔・東金堂から東に徒歩5分(西塔跡まで)

周辺地図(西塔跡)

周辺地図(東塔跡)