崇道天皇社(奈良・紀寺)

【崇道天皇社(紀寺)】奈良に伝わる「怨霊伝説」を象徴する神社の代表格

ごあんない

奈良市内における「崇道天皇」関連スポットの代表的存在

崇道天皇社(すどうてんのうしゃ)は、奈良町エリアの南側、市立病院などが位置する「紀寺」地区に位置し、その「紀寺」跡としても知られる「璉珹寺(れんじょうじ)」にほぼ隣接する神社です。

崇道天皇は奈良市の南東部に位置する崇道天皇陵(八島陵)に埋葬されているとされる皇族であり、崇道天皇陵(八島陵)の記事にも記しているように、生前の名を「早良親王」と言い、藤原種継暗殺の謗りを受け流罪とされ非業の死を遂げた悲劇の皇子であり、その祟りを鎮めるために死後崇道天皇と追称された存在となっています。

この神社は、その霊を祀るため平城天皇の治世である平安時代初期の大同元年(806年)に創建されたとされ、その後の歴史でも「怨霊伝説」の象徴的存在として語り継がれた崇道天皇に関する代表的スポットとして現在でも歴史ファンを中心に知られる存在となっています。

ならまち散策の折に立ち寄りやすい立地です

そのような「怨霊伝説」ゆかりの地である崇道天皇社ですが、境内は東西に細長く、鎮守の森等もないために広々とした明るい印象を与えるものであり、国の重要文化財であるその本殿は、春日大社内の若宮神社を江戸時代の元和9年(1623年)に移築した貴重な建築であるとされており、神社の東端に現在も実に立派な姿を見せています。

奈良町の主要観光ルートからはやや離れた位置にあり、観光客の数はそれほど多くはありませんが、奈良町エリア・京終エリアの中心部(御霊神社・飛鳥神社など)から10分もかからない位置にあり、散策の途中に気軽に立ち寄れるスポットになっています。また、怨霊伝説に関わるスポットということで、決して明るいイメージを持たれる神社とは言えませんが、奈良時代に展開された崇道天皇を巡る「不思議な歴史」に思いをはせることは、周辺の「肘塚町」の由来などとあわせ、奈良の風景をみるまなざしをより深みのあるものにしてくれるものと言えるでしょう。

崇道天皇社(紀寺)の風景

鳥居・参道周辺

崇道天皇社(奈良・紀寺)

「ならまち」の中心部からはやや離れていますが、重厚な町家と向かい合う形の境内地を持つ崇道天皇社。境内地はとにかく細長く伸びていることが特徴となっており、鳥居から本殿付近をすぐに見渡せないほどの参道の長さとなっています。

崇道天皇社(紀寺)の参道・社殿

しばらく奥に進むと参道の突き当りが見えてきますが、本殿に辿り付くまでには、鳥居を2つ、門を1つ抜けていくことになり、この規模の神社でここまで本殿が厳重に守られた造りとなっていることは、やはり「怨念」伝説と何らかの関係があることを感じざるを得ない佇まいとなっています。

拝殿・本殿

崇道天皇社の拝殿

拝殿・本殿は参道の伸びる向きとは異なり、参道の北側に南面する形でが建っています。なお、明治9年(1875年)までは西面に建っていたとされ、このようなやや不規則な造りになったのは近代以降のこととなっています。春日若宮を移築した本殿は拝殿越しにわずかに見えるだけではありますが、美しく保存されている様子を伺うことができます。

その他境内社など

境内には本殿以外にも3つの境内社があります。こちらは祓戸社であり、ご祭神は瀬織津比売神・気吸戸主神・速開都比売神・速佐須良比売神となっています。

本殿の近くには菅原道真公をお祀りする天満宮もあります。

天満宮の南隣には稲荷社もあり、宇賀御魂神をお祀りしています。

アクセス

各駅からのアクセス

奈良交通バス

・JR奈良駅から「市内循環内回り」乗車、「田中町」下車、東に徒歩3分、または「紀寺町」下車、西に徒歩3分

・近鉄奈良駅から「市内循環外回り」・「中循環外回り(近鉄奈良駅からのみ)」乗車、「紀寺町」下車、南にすぐ

・JR・近鉄奈良駅から「天理駅」・「下山」・「窪之庄」行き乗車、「紀寺町」下車、南西に徒歩3分

JR京終駅から北東に徒歩10分

近隣スポット

璉珹寺(れんじょうじ)から北にすぐ・奈良町南観光案内所から東に徒歩3分・ならまち格子の家から南東に徒歩5分・飛鳥神社(京終天神社)から北東に徒歩6分・京終地蔵尊から北東に徒歩8分

崇道天皇社周辺地図