ご案内
「興福寺」に現存する貴重な「子院」
興福寺菩提院大御堂(ぼだいいんおおみどう)は、奈良を代表する観光スポットである「猿沢池」・「興福寺五重塔」の近くにあり、「興福寺」に付属する「子院」となっているお寺です。
興福寺は、明治維新頃までは立派な境内地と周辺にある複数の子院で構成される大規模なお寺となっていたものの、「廃仏毀釈」のうねりで「大乗院」をはじめとする多数の子院が廃寺となり規模が大変小さくなってしまいましたが、現在もこの菩提院は残されており、興福寺のかつての歴史に思いを馳せることが出来る大変貴重な空間となっています。
「十三鐘」として親しまれた空間は玄昉由来とも
菩提院大御堂の歴史は、奈良時代に興福寺において活躍し「怪僧」とも言われ多数の伝説も残したお坊さんである「玄昉」由来と言われており、奈良時代に玄昉により創建されたという伝承も残っていますが、実際にはこのような比較的立派な施設自体は玄昉を弔うために後世、鎌倉時代頃に建立されたものであるとも言われています。
現在経っている立派なお堂は、江戸幕府が誕生する少し前の天正8年(1580年)に再建されたものとなっており、堂内には本尊阿弥陀如来坐像(重要文化財)、不空羂索観音菩薩像、稚兒観音菩薩像を安置しています。
また、お堂の近くには立派な「鐘楼」があり、その梵鐘は永享8年(1436年)に鋳造されたものであり、昔は正午・日付が変わる際・早朝などに奈良町エリアに鐘の音が響き渡っていたとされており、「十三鐘(じゅうさんかね)」という名前で親しまれてきた存在となっています。
「石子詰めの三作」伝説ゆかりの地も
ちなみに、お堂の裏手、三条通り(春日大社参道)沿いに面する前庭のエリアには、鹿を誤って死なせたために死罪となった子ども「三作」を弔う塚が設置されており、この伝説は近松門左衛門が生み出した浄瑠璃「十三鐘」の題材となっています。
興福寺菩提院大御堂(十三鐘)のみどころ・風景
「十三鐘」として親しまれてきた鐘楼は現在も残されており、頻繁に鳴らされるようなことは無くなったものの、往時の雰囲気をしっかりと感じさせる存在感を放っています。
菩提院大御堂のお堂は、東大寺三月堂(法華堂)を少し小さくしたような規模とも言えるような、それなりに大きなものとなっています。
次項では、交通アクセスについてご案内致します。
アクセス(電車・バス)
近鉄・JR線各駅からのアクセス
近鉄奈良駅から南東に徒歩10分
JR奈良駅から東に徒歩18分
奈良交通バス
・JR奈良駅から「市内循環外回り」「山村町」・「藤原台」・「春日大社本殿」・「天理駅」・「下山」・「窪之庄」・「県庁前」行き乗車、「県庁前」バス停下車、南に徒歩4分
周辺のみどころ・観光スポット
伝説三作石子詰之旧跡はお堂の裏手(境内地)に立地・春日大社一の鳥居から西に徒歩2分・興福寺大湯屋から南西に徒歩3分・興福寺五重塔から南東に徒歩3分・興福寺東金堂から南東に徒歩4分
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